雪印乳業(株)『雪印乳業沿革史』(1985.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
3月22日 JOAK、初のラジオ放送開始 一般関係
4月1日 農商務省を廃し農林・商工両省を設置 一般関係
5月5日 普通選挙法公布 一般関係
5月17日 有限責任北海道製酪販売組合創立総会、組合長宇都宮仙太郎、専務理事 黒沢酉蔵、常務理事 佐藤善七 当社関係
5月17日 石狩支庁内に仮事務所開設 当社関係
7月8日 輸入煉乳関税引上げに関する意見書を道庁長官から各省大臣に提出 一般関係
7月25日 野津幌仮工場でバター製造開始 当社関係
8月 第一回出資払込完了(加入者六二九名、口数一、〇九〇、金額五、四五〇円)(8月~) 当社関係
10月 バター販売開始(10月~) 当社関係
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
3月11日 北海道煉乳(株)は大日本乳製品(株)と改称 一般関係
3月28日 保証責任北海道製酪販売組合連合会設立総会 当社関係
4月1日 乳製品関税引上げ、煉乳容器とも八円三〇銭、粉乳一三円四〇銭(一〇〇斤当り) 一般関係
5月1日 札幌郡札幌村大字苗穂三六番地に事務所、札幌工場用敷地決定(9・30事務所・新工場竣工、10・1移転) 当社関係
6月5日 保証責任北海道製酪販売組合連合会設立認可 当社関係
9月1日 東京出張所開設(東京市下谷区下根岸) 当社関係
昭和元年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月25日 昭和と改元 一般関係
1926年 - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月 「雪印」商標決定(12月~) 当社関係
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
2月 日刊新聞に初めてバター広告を掲載(2月~) 当社関係
4月1日 第二期北海道拓殖計画実施に入る 一般関係
6月10日 夏期のバター輸送に冷蔵貨車使用を開始 当社関係
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