※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 両国広小路横町の碁会所の2階を借り移転。さらに両国米沢町3丁目に家を購入、移転 | 報知新聞社 | |
6月3日 | 第55号から日刊紙となり、題字横に「毎日出版」をうたう。新聞のスタイルも両面刷り1枚2つ折りの4ページ(縦36センチ、横28センチ)に変わる。定価を1銭6厘に値下げ | 報知新聞社 | |
6月3日 | 神田小川町1に報知社支局、新聞閲覧所を設置 | 報知新聞社 | |
6月8日 | 野畑石高の称を廃止、反別賦課に改められる | 社会 | |
6月28日 | 駅逓寮、新聞原稿の郵送無料制 | 社会 | |
10月2日 | 第154号から横型3段通しの両面刷り2ページにスタイル変更。漢語にはルビを付ける | 報知新聞社 | |
10月9日 | 開成学校で体操を天覧 | スポーツ・文化 | |
10月19日 | 新聞紙条目を制定、発行許可制 | 社会 | |
10月25日 | 西郷隆盛、副島種臣、後藤象二郎、板垣退助、江藤新平ら参議を辞任(明治6年の政変) | 社会 | |
11月9日 | 町内からの出火で米沢町の社屋全焼、再び横町の碁会所に移転。間もなく両国薬研堀38の私立学校跡(元は相撲年寄雷権太夫の住宅)を買い取り、モダンな西洋館式に改修。この社屋が評判を呼んで東京名所に数えられ、3枚続きの錦絵《にしきえ》(3世広重筆)に描かれる | 報知新聞社 | |
- | ※このころ福地桜痴、成島柳北、大槻如電らも本紙に執筆 | 報知新聞社 | |
- | ※開拓使仮学校(のちの札幌農学校、現北大=当時は東京芝公園にあった)で、米人教師ベーツが学生を2組に分けて野球試合を行った | スポーツ・文化 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月12日 | 板垣退助ら愛国公党を創立 | 社会 | |
1月15日 | 東京警視庁設置 | 社会 | |
1月17日 | 参議板垣退助ら民選議院設立の建白書提出。これを報道したのは本紙と日新真事誌の2紙だけだった | 報知新聞社 | |
2月4日 | 佐賀の乱起きる | 社会 | |
3月14日 | 東京に女子師範学校設立 | 社会 | |
3月21日 | 海軍兵学寮で競闘遊戯会を行う。運動会の始まり | スポーツ・文化 | |
5月24日 | 4号活字を5号活字に替えて字数を増やし、内容充実を図る | 報知新聞社 | |
5月 | 仏人ジュクロー、陸軍戸山学校で体操、フェンシングを指導。工学寮(のちの東大工学部)で英人教師ライメルジョンスがフットボールを紹介 | スポーツ・文化 |