※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 元幕臣の栗本鋤雲(52)入社、6月22日付から編集責任者となる。栗本は福沢諭吉に助力を請い、門下の秀才の論文投書を依頼。箕浦勝人(22)、藤田茂吉(23)、牛場卓造(26)らの気鋭が論文発表 | 報知新聞社 | |
6月 | 板垣退助の秘書古沢滋(24)、主筆として入社 | 報知新聞社 | |
7月 | 政府を説得して地方官会議に記者を派遣、積極的取材報道に努める | 報知新聞社 | |
9月24日 | 「朝野新聞」創刊 | 社会 | |
11月2日 | 「読売新聞」創刊 | 社会 | |
11月15日 | 大阪心斎橋通道修町4の26に支局を設置 | 報知新聞社 | |
12月13日 | 宮内省式部寮雅楽課、海軍軍楽長を招き、洋楽を伝習 | スポーツ・文化 | |
- | ※このころから政府と結ぶ御用紙「東京日日新聞」と民間側の進歩主義を代表する本紙が、官権、民権主義の論争に火花を散らす | 報知新聞社 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月8日 | 小学校年齢、満6歳から14歳までとなる | 社会 | |
1月18日 | 村田経芳が射撃研究のため渡欧、マルセーユの万国射撃大会で優勝 | スポーツ・文化 | |
2月13日 | 名字は必ずつけるよう布告が出る | 社会 | |
3月2日 | 横浜から英、仏の兵隊撤退 | 社会 | |
3月 | 古沢滋、官吏になるため退社 | 報知新聞社 | |
3月 | 藤田茂吉、箕浦勝人、牛場卓造の福沢門下が正式入社。8月から藤田が主筆、箕浦が論説主任となって痛烈な政府攻撃の論文を掲載 | 報知新聞社 | |
4月14日 | 元老院、大審院、地方官会議を設置し、漸次立憲政体樹立の詔勅 | 社会 | |
4月19日 | 漕《そう》艇と陸上競技の恩人ストレンジが来日。14年間にわたり日本のスポーツ界を英国風に指導した。後年まで大学運動会の中心がボートレースと陸上運動会だったのはその影響 | スポーツ・文化 | |
6月28日 | 讒謗《ざんぼう》律、新聞紙条例公布される | 社会 | |
7月7日 | 紙面を縦型とし、4ページに増やして本格的新聞スタイルとする。題字は横書き。「社説」欄を新設 | 報知新聞社 | |
7月 | 水泳指導場、築地に開かれる | スポーツ・文化 | |
8月30日 | 発行人岡敬孝が禁獄1か月、罰金10円の処分を受ける。7月26日の社説と雑報が新聞紙条例に抵触したもの。報知受難第1号 | 報知新聞社 |