(株)北海道新聞社『北海道新聞十年史』(1952.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
5月26日 △後藤文夫、国務大臣として入閣。 内外の動き
5月27日 △本社に産業報国会を結成、会長に東社長、副会長に長沼、東(富七)両取締役、幹事長に土井寿治就任(各支社も相ついで結成式を挙行) わが社の歩み
5月28日 △満洲、北支、中南支、南方など当時の共栄圏各地およびベルリン、ブエノスアイレス、リスボン、ローマ、ストックホルムなどに社友、特派員を配置して海外報道陣を強化する旨を社告。 わが社の歩み
5月28日 △勤労報国隊整備要綱発表。 内外の動き
5月30日 △本社従業員の体育鍛錬大会を札幌田山神社境内に催す。(各支社も相ついでこの種の行事を開催す) わが社の歩み
5月30日 △アツツ島の日本守備隊全滅の旨発表さる。 内外の動き
5月31日 △第一回定時株主総会を開き十八年上期決算その他を承認。 わが社の歩み
5月31日 △英軍、アレキサンドリ在港の仏艦隊を接収す。 内外の動き
6月1日 △昭南(シンガポール)に支局を開設す。 わが社の歩み
6月1日 △旭川支社紙地方版のうち上川宗谷留萌版を上川版、宗谷留萌版とし東北版を廃して帯広十勝版を新設。 わが社の歩み
6月1日 △人事異動=鈴木伝の小樽支社長を解き、豊原支社長野口小太郎を小樽支社長に、佐藤栄一を豊原支社長とする。 わが社の歩み
6月1日 △改正市町村制実施され、北海道の一二級町村制廃止となる。 内外の動き
6月1日 △商工経済会法実施(商工会議所解散)。 内外の動き
6月2日 △夕刊に七、八段回碁勝抜戦棋譜を連載。 わが社の歩み
6月3日 △本、支社普及部、課長会議開催。 わが社の歩み
6月4日 △戦時衣生活簡素化実施要綱きまる、衣料事情いよいよ窮迫す。 内外の動き
6月5日 △山本五十六元帥の国葬を東京日比谷にて執行。 内外の動き
6月5日 △天津[、]漢口、広東の仏租界返還式 内外の動き
6月6日 △画家中村不折死去、七十六歳。 内外の動き
6月10日 △中頓別に通信所を新設。士別通信所を閉鎖す。 わが社の歩み
PAGE TOP