(株)北海道新聞社『北海道新聞十年史』(1952.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
12月12日 △札幌にて防空監視隊に関する時局懇談会を開く。(二十三日旭川、二十七日小樽、二十八日函館の順に開催す) わが社の歩み
12月12日 △天皇陛下伊勢神宮に御参拝。 内外の動き
12月18日 △北海道新聞社互助会創立。 わが社の歩み
12月18日 △工場、鉱山、日雇労務者の最高、標準および最低賃金きまる。 内外の動き
12月20日 △中国国民政府首席汪兆銘入京す。 内外の動き
12月20日 △アラスカ公路開通。 内外の動き
12月21日 △私鉄十二線を国鉄に編入。 内外の動き
12月21日 △日泰文化協定実施。 内外の動き
12月23日 △大日本言論報国会設立総会を開く。 内外の動き
12月24日 △臨時株主総会を開き重役報酬の件を決定。 わが社の歩み
12月24日 △フランスのダルラン将軍暗殺さる。 内外の動き
12月26日 △江差日日新聞の発行権を買収す。 わが社の歩み
12月28日 △企画委員会設立、会長に東社長、委員長に田中取締役就任。 わが社の歩み
12月31日 △新制定の社旗十一旒、札幌神社にて入魂式を行い各支社に配し、それぞれ旗手を定む。 わが社の歩み
12月 △この月シカゴ大学の原子物理学者フエルミ博士ウランの分裂による連鎖反応の実現に成功す。 内外の動き
- △この年十月一日現在調査の北海道戸口は六十万七千三百九十九戸、三百三十五万六千四百四十四人。札幌、函館、小樽、旭川、室蘭、釧路、北見の八市、石狩、空知、上川、後志、桧山、渡島。胆振、日高、十勝、釧路国、根室、網走、宗谷[、]留萌の十四支庁、長官はこの年六月の異動により戸塚九一郎に代つて坂千秋第二十六代長官に就任。また、樺太の年末現在調査による戸口には豊原、真岡、恵須取、敷香の四支庁合計七万五千十六戸、四十万六千五百五十二人、長官は第十四代小河正儀。 内外の動き
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
1月1日 △本、支社新年会を催し創刊第二年の決意を新たにす。 わが社の歩み
1月2日 △函館支社紙の朝刊小説、浅原六朗作「光る波」に代り福田清人作「新風」連載はじまる、さしえ伊勢正義。 わが社の歩み
1月4日 △日銀、前年の公債消化額を百二十八億一千八百万円(九六パーセント)と発表。 内外の動き
1月4日 △横浜生糸清算市場は来る四月限りをもって廃止ときまる。 内外の動き
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