(株)北海道新聞社『北海道新聞十年史』(1952.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
1月31日 △帯広、北見両支社紙廃刊す。 わが社の歩み
2月1日 △帯広、北見両支社を支局とし、厚岸、寿都、東瀬棚に通信所を開設。 わが社の歩み
2月1日 △釧路支社紙の地方版は十勝帯広版を加え釧路版、根室版の三版発行。 わが社の歩み
2月1日 △人事異動=釧路支社長長谷川政越郎を審査委員に、佐々木正を釧路支社長に、藤田輝孝の帯広支社長を解き、北見支社長小林幸太郎を支社廃止により同支局長とす。 わが社の歩み
2月1日 △スターリングラードのドイツ軍降伏。 内外の動き
2月1日 △政府、貴族院委員会にて大東亜戦争の俘虜約三十万(うち欧米人十一万八千)と答弁。 内外の動き
2月2日 △日高毎日新聞の発行権を買収す。 わが社の歩み
2月3日 △臨時株主総会を開き、帯広、北見両社紙発行停止に伴う定款一部変更を決定。 わが社の歩み
2月5日 △札幌における日食南限線観測に一万人を動員す。 わが社の歩み
2月5日 △本社の特別防護団ならびに警防群結成(各支社も相ついで結成す。) わが社の歩み
2月5日 △北海道皆既日食。 内外の動き
2月8日 △用紙節約のため月曜日朝刊二ページとなる。 わが社の歩み
2月8日 △魚菜の登録制を実施す。 内外の動き
2月9日 △ブナ、ガダルカナルの日本軍撤退を公表。 内外の動き
2月9日 △アメリカ週四十八時間労働制を実施。 内外の動き
2月9日 △政府、十八年度国民所得五百億円、貯蓄目標二百七十億円と発表。 内外の動き
2月10日 △釧路支社紙の短評「天声人語」を「北方眼」と改む。 わが社の歩み
2月10日 △本米穀年度買上予定数量を四千百万石と発表。 内外の動き
2月11日 △旭川支社紙の地方版は上川留萌宗谷版、東北版、市内版の三版を空知上川留萌版、上川宗谷留萌版、北見網走版[、]東北版、市内版の五版制とす。 わが社の歩み
2月14日 △独軍当局、ロストフ、ノヴオロシースク撤退を声明。 内外の動き
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