(株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
12月7日 △編集長永井碌新聞条例違反で禁獄三月罰金十五円 創業時代
12月7日 △加藤瓢乎仮編集長兼出版人となる 創業時代
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
1月4日 発行部数二万突破と社告す 創業時代
2月1日 △大阪支店拡張のため堂島中一丁目二十八番地に移転 創業時代
3月9日 △永井碌満期となって出獄再び編集兼出版人となる 創業時代
5月12日 △発行部数二万五千を突破して日本一となり、社屋手狭のため銀座一丁目十三番地に移転す 創業時代
9月24日 △西郷隆盛戦死の号外発行 創業時代
9月28日 △新聞休刊の日の重大事件は別配達(号外)と社告す 創業時代
11月8日 △高畠藍泉退社し東京毎夕新聞を創刊す 創業時代
12月16日 △編集長永井碌讒謗律第五条により罰金五円申付けらる 創業時代
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
3月20日 読売《よみうり》(呼び売り)を廃し鐸々《チリンチリン》箱売りに変更す 創業時代
4月18日 △地方長官会議にはじめて新聞記者の傍聴許され本社から記者今川粛出向く 創業時代
5月7日 △永井編集長またまた讒謗律にふれ罰金五円 創業時代
5月21日 △一千号記念付録発行祝賀会開催 創業時代
5月25日 △永井編集長またも讒謗律で罰金十五円 創業時代
8月2日 △同じく[永井編集長またも讒謗律で]罰金五円 創業時代
8月31日 △同[永井編集長またも讒謗律で]罰金十円 創業時代
9月13日 △内国勧業博覧会から読売新聞紙ならびに西洋書綴法(日就社出版)に対し竜紋賞はい(牌)を付与さる 創業時代
10月1日 △永井編集長罰金五円 創業時代
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
1月4日 はじめて新年号付録添付 創業時代
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