※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月31日 | △子安社長、輸入を防ぎ士族に授産のためかなきん(金巾)製造所を設く | 創業時代 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | これまで新聞原稿は郵税無料のところ有税となる | 創業時代 | |
1月10日 | △仮編集長青柳助五郎東京軽裁判所で重禁固二月罰金七円五十銭 | 創業時代 | |
4月20日 | △仮編集長小林金太郎新聞条例違反で罰金百円のところ小林丁年未満のため一等を減じ八十円となる | 創業時代 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月4日 | 紙幅を拡張す | 創業時代 | |
4月15日 | △はじめて美術批評を掲げ絵画共進会に対し約一カ月にわたり批評 | 創業時代 | |
7月31日 | △外国電報欄新設 | 創業時代 | |
10月22日 | △持主兼編集人居林誠孝新聞条例違反で罰金三十円 | 創業時代 | |
11月2日 | △創刊満十年祝賀会開かる | 創業時代 | |
11月30日 | △成島柳北没す | 創業時代 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月25日 | 本紙三千号記念祝賀会開かれ各界の名士出席 | 創業時代 | |
3月10日 | △はじめて海外に特派員を出し社友伊藤東太郎特別通信員として北京へ出発す | 創業時代 | |
5月28日 | △読売を除く各小新聞は内務省警保局に召喚され、自今わいせつの図画を載せぬようにと説諭さる | 創業時代 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月4日 | はじめて連載小説を掲ぐ、仏国ジョルジュ・オネー作 加藤瓢乎訳「鍛鉄場の主人」第一回掲載 | 創業時代 | |
3月23日 | △饗庭篁村の小説「今様商人気質」第一回 | 創業時代 | |
8月19日 | △加藤瓢乎の小説「一樹蔭月氷奇談」第一回 | 創業時代 | |
10月1日 | △はじめて広告料を定む、一日分一行に付十銭、二日以上九銭、七日以上八銭 | 創業時代 | |
10月1日 | △購読料を一枚一銭五厘から一銭三厘に値下げす、一カ月二十八銭、各社とも同じ | 創業時代 | |
10月1日 | △題字を縦書にす | 創業時代 | |
10月31日 | △小説、脚本の二本建とす | 創業時代 |