(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"中井錦城"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
明治26年(1893) 6月26日 中井錦城を朝鮮に特派 本社
明治29年(1896) 9月3日 論説「新内閣に勧告するの外交、財政」(中井錦城、~9.5) 本社
明治32年(1899) 5月24日 社説「露国南下の趨勢と北京鉄道」(中井錦城執筆。文中の全知全能を無知無能と誤植、号外で訂正) 本社
明治33年(1900) 11月8日 社説にはじめて「である」の口語体を用いる(中井錦城執筆「新外務大臣の演説」、加藤高明外相の外交秘密主義をやめるとの談話を歓迎したもの) 本社
明治34年(1901) 3月26日 中井錦城の随想「空談」連載開始。 本社
10月23日 中井錦城、主筆を辞任し松平康圀が新主筆に就任(社告) 本社
明治35年(1902) 11月5日 中井錦城、田口卯吉の著「古代の研究」評を掲げる(~11.7) 本社
明治36年(1903) 1月1日 足立北鴎、主筆に就任。中井錦城は客員となる。 本社
明治44年(1911) 11月13日 清国革命動乱につき中井錦城に通信を委嘱(11.12中井出発) 本社
PAGE TOP