(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

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月日 事項 年表種別
明治39年(1906) 1月30日 俳句選者に佐藤紅緑加わる 本社
大正3年(1914) 3月21日 「婦人附録」編集顧問・羽仁吉一、同主任・小橋三四子、与謝野晶子、田村俊子ら4人、文芸欄執筆のため徳田秋声、上司小剣、松本雲舟、正宗白鳥、佐藤紅緑ら5人、客員として小宮豊隆、、阿部次郎、安倍能成、森田草平ら4人、運動欄・学生欄充実のため吉岡信敬、さらに中村雅治、沢村晴夫、町田源太郎、大井包高、沢田撫松の計19人の入社を発表(社告) 本社
5月12日 新人紹介を目的とした懸賞短編小説第1回募集(選者、徳田秋声、上司小剣、田村俊子、正宗白鳥、佐藤紅緑) 本社
10月9日 連載中の佐藤紅緑「光の巷」、新派10月興行として本郷座で初演 本社
11月26日 佐藤紅緑「鳩の家」(~4.5.30、183回) 本社
大正4年(1915) 3月1日 新読者のため毎月1日に連載小説の梗概《こうがい》を掲載することに決定、佐藤紅緑「鳩の家」の後からはじめる 本社
3月5日 芸術座(島村抱月)と近代劇協会(上山草人)との間の「復活」著作興行権問題に対し、中村吉蔵、昇曙夢、秋田雨雀、佐藤紅緑及び当事者たちの発言を連続とりあげ、著作権問題を追求する 本社
10月20日 本紙掲載の佐藤紅緑「鳩の家」東京座で開演、本社協賛(~10.29、10日間) 本社
大正11年(1922) 8月28日 佐藤紅緑作、田中良画「荊の冠」(~12.3.12、189回) 本社
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