(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

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月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) 12月9日 副主筆制を設け、論説委員安田庄司が就任。また婦人部は文化部へ、体育部は社会部にそれぞれ統合、企画局弘報部は廃止 本社
昭和20年(1945) 8月31日 副主筆安田庄司、依願退社 本社
昭和21年(1946) 2月1日 元副主筆安田庄司、編集局顧問になる 本社
6月14日 編集局長に安田庄司、主筆に岩淵辰雄 本社
12月28日 編集局長安田庄司、営業局長武藤三徳、取締役になる 本社
昭和23年(1948) 9月14日 取締役編集局長安田庄司、主筆を兼務。取締役営業局長武藤三徳、常務取締役になる 本社
昭和24年(1949) 5月16日 取締役安田庄司、副社長兼編集主幹になる 本社
12月15日 安田庄司、セントラル野球連盟会長になる 本社
昭和25年(1950) 9月9日 小説委員会(安田庄司委員長)を設ける 本社
昭和26年(1951) 1月9日 代表取締役社長馬場恒吾、常務取締役営業局長武藤三徳、取締役出版局長四方田義茂の三氏辞任、取締役副社長兼編集主幹安田庄司、代表取締役となり、出版局長を兼務、取締役務台光雄、常務取締役営業局長に、馬場恒吾顧問に、四方田義茂客員となる 本社
昭和27年(1952) 3月1日 編集主幹の名称を主幹と改め、副社長編集主幹安田庄司を主幹とし、編集局総務整理部長小島文夫を編集局長に、取締役出版局長八反田角一郎を営業局長に、営業局次長兼資材部長郡司宗秋を出版局長に、取締役労務厚生本部長兼審議室長岡野敏成、労務厚生本部長を解き社史編さん室長兼務となる。総務局次長兼総務部長橘英雄、労務厚生本部長事務取扱となる 本社
10月13日 大阪読売新聞社創立総会、会長に副社長安田庄司、代表取締役に常務取締役務台光雄 本社
昭和28年(1953) 7月2日 代表取締役副社長安田庄司にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章授与される 本社
11月1日 本社機構改革、総務局に営業局を合併して業務局、企画調査局を廃止して事業本部とする。4局1本部を新設、新聞監査局を廃止して新聞監査委員会を新設、労務厚生本部を廃止、新聞監査委員長に主幹安田庄司(兼務)、業務局長に営業局長山岡重孝、事業本部長に企画調査局長渡辺文太郎、業務局総務に総務局長郡司宗秋(局長待遇)、出版局総務に新聞監査局長和田副治(局長待遇)、審議室次長労務担当役員補佐に労務厚生本部長橘英雄 本社
昭和30年(1955) 2月9日 代表取締役副社長、主幹安田庄司死去。2.11東京・築地本願寺で社葬、葬儀委員長正力松太郎 本社
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