(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

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月日 事項 年表種別
明治34年(1901) 8月19日 長谷川天渓「美的生活とは何ぞや」(~8.26、評論) 本社
10月21日 長谷川天渓「ニーツェ主義と美的生活(再び帝国文学記者に答ふ)」(~10.28、評論) 本社
明治41年(1908) 1月 長谷川天渓「現実暴露の悲哀」(雑誌太陽)、島村抱月「文芸上の自然主義」(早稲田文学)発表 一般
大正11年(1922) 2月27日 論説「過激運動取締案・結果は却って有害」を掲げ、3.14、3.16にも重ねて思想取り締まりの錯誤と無理解を説く。文芸欄でも2.21~3.11の間、小牧近江、長谷川天渓、平林初之輔、小川未明、馬場孤蝶、白鳥省吾らが、思想は権力で抑圧できぬと発言する 本社
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