(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

"高山樗牛"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治27年(1894) 4月15日 懸賞歴史小説に高山樗牛の「滝口入道」が2等に入選(応募原稿に住所・氏名不記のため「無名氏」作として発表。1等は該当作なく再募集) 本社
4月16日 「滝口入道」連載(~5.30、33回)。高山樗牛、本社にあらわれる 本社
明治32年(1899) 9月1日 森鴎外、大村西崖と共編の「審美綱領」についての高山樗牛の批評(「帝国文学」所載)に反論(9.2と2回。9.4高山の反論を掲載。ハルトマン論争) 本社
明治34年(1901) 10月12日 坪内逍遥「馬骨人言」(紙上匿名、~11.7。高山樗牛のニーチェイズム批判、高山、雑誌「太陽」10月号で反論) 本社
12月18日 逍遥「帝国文学記者に与へて再びニイチェを論ずるの書」(紙上署名は「馬骨人言の著者」。~12.22、高山樗牛の友人登張竹風が帝国文学に発表した見解に反論) 本社
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