(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

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月日 事項 年表種別
明治19年(1886) 1月4日 高田早苗・杉浦重剛を雑譚の執筆者に招く。 本社
明治20年(1887) 5月1日 論説「演劇天覧の事を聞き天下の俳優に告ぐ」(松屋主人=高田早苗筆) 本社
8月1日 高田早苗入社し主筆に就任 本社
9月22日 社説「内閣更迭論」(~9.25、3回。高田早苗筆) 本社
10月1日 高田早苗執筆の「通俗国会問答」連載開始(~21.7.22)坪内逍遥の小説「種拾ひ」連載(~11.9) 本社
11月3日 翻訳小説「黒猫」(ポー作・高田早苗、饗庭篁村訳) 本社
明治21年(1888) 11月8日 高田早苗の地方講演「自治論」を分載(~11.13) 本社
明治22年(1889) 2月6日 論説「願はくは憲法と情死せん」(高田早苗筆) 本社
明治24年(1891) 11月30日 東京府下21新聞社、貴・衆両院に新聞条例改正の請願を提出(発起人高田早苗・徳富蘇峰) マスコミ
明治25年(1892) 1月16日 論説「東京人即ち江戸っ子は最も民党に加担するの義務あり」(高田早苗) 本社
5月30日 高田早苗、凶漢3人に襲われ肩を切られ負傷(6.27全快退院) 本社
11月9日 「京都日の出」に招聘《しょうへい》された巌谷小波の壮行会。高田早苗(重役)、硯友社同人ら数十人出席 本社
明治26年(1893) 3月18日 高田早苗「小説談」(ウォルター・スコツトの紹介~3.21、4回) 本社
明治27年(1894) 10月12日 石井勇・三浦浜南ほか数人を広島議会に特派。議員高田早苗・市島謙吉も協力 本社
明治30年(1897) 4月11日 元主筆高田早苗、4.8外務省通産局長就任のため退社(ただし、重役としてしばらくとどまる) 本社
明治33年(1900) 1月1日 牛込・清風亭における高田早苗・坪内逍遥・尾崎紅葉らの口演を「口演百譚」として随時掲載開始。 本社
明治43年(1910) 3月20日 高柳豊三郎、第3代社長に就任。足立荒人は副社長、笹川潔は主筆になる。編集評議員に富井政章・高田早苗・梅謙次郎、教育顧問に沢柳政太郎、家庭顧問に巌谷小波を委嘱。大隈重信ら67人を賛助員として社告 本社
大正2年(1913) 4月26日 「大学改良問題」(~5.18、14回)浮田和民、高田早苗、岡田良平らによる所見開陳 本社
昭和2年(1927) 10月23日 元主筆高田早苗の「半峰昔ばなし」の一部を文芸面に連載 本社
昭和13年(1938) 12月13日 元主筆、高田早苗死去 本社
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