(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)

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月日 事項 年表種別
明治9年(1876) 1月4日 創刊以来の半紙大2ページを4ページとし、定価1枚1銭、1か月20銭に改定。題字を佐瀬得所筆の草書体に改める(1.17再び活字体にもどす)。高畠藍泉入社 本社
4月29日 「小学雑誌」(隔日刊、定価6厘)を発刊。高畠藍泉編集 本社
明治10年(1877) 6月 高畠藍泉退社 本社
11月12日 「東京毎夕」創刊。高畠藍泉主宰(最初の夕刊紙) マスコミ
明治13年(1880) 1月23日 高畠藍泉(元社員、このころ客員)、雑譚に初執筆(「ブルとガルの区別」藍泉散士) 本社
8月7日 高畠藍泉復社し、印刷長となる。「帰社の辞」を掲載(8.12大久保紫香が入社祝辞を投書) 本社
明治14年(1881) 12月16日 高畠藍泉が他社に転じるとのうわさを紙上で否定 本社
明治15年(1882) 1月18日 編集長小野湖北となる。印刷長高畠藍泉、柳亭種彦(三世)を嗣号し繁忙のため、前編集長加藤瓢乎が印刷長となる 本社
1月29日 高畠藍泉の嗣号披露会。来会者500人に達す 本社
明治18年(1885) 11月18日 元社員高畠藍泉死去 本社
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