(株)読売新聞社『読売新聞百二十年史』(1994.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
1月26日 東京―横浜間に電信開通 一般・マスコミ
3月 本木昌造、長崎に「新塾活版製作所」を設立 一般・マスコミ
4月 「日就社」を設立。子安峻・本野盛亨・柴田昌吉の3人が協力、横浜弁天町に設けた活版印行所から出発。命名は『詩経』の「日に就き月に将む」に基づく。1917年まで名を残す 本社
12月8日 日本最初の日刊紙「横浜毎日新聞」創刊、子安も参画 一般・マスコミ
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
4月20日 郵便制度始まる 一般・マスコミ
8月29日 廃藩置県の詔書(3府302県) 一般・マスコミ
11月 日就社、長崎新塾製の活字を購入 本社
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
3月16日 「日新真事誌」創刊 一般・マスコミ
6月12日 品川―横浜間で鉄道仮営業開始 一般・マスコミ
7月15日 「郵便報知新聞」創刊 一般・マスコミ
9月 ペルー奴隷船マリアルース号事件に関する外務省報告書を日就社で印刷 本社
12月9日 太陽暦採用の詔書 一般・マスコミ
12月28日 徴兵の詔書 一般・マスコミ
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
1月 「附音・挿図 英和字彙」を日就社から出版。8000部を売り切る。定価8円? 本社
4月20日 日就社、東京虎之門外芝琴平町1番地に移転(元播州山崎藩の江戸屋敷、現港区虎ノ門1-8)子安、社長に 本社
7月28日 地租改正条例を布告 一般・マスコミ
10月19日 新聞紙発行条目を定める(発行許可制など。最初の統制法規) 一般・マスコミ
11月10日 内務省を設置 一般・マスコミ
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
9月23日 「朝野新聞」創刊(成島柳北社長の下で読売と友好関係) 一般・マスコミ
11月2日 読売新聞が創刊。発行所は日就社。社長に子安峻、初代編集長に鈴木田正雄。当初は隔日刊で定価1枚8厘、月決め10銭。 本社
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