※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月21日 | 初の内国勧業博覧会開く。日就社「西洋書綴法」など出品 | 一般・マスコミ | |
9月24日 | 「賊徒平定」(西郷隆盛戦死)の号外を発行 | 本社 | |
11月12日 | 最初の夕刊紙「東京毎夕」発刊 | 一般・マスコミ | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月20日 | 市中読み売りをやめるむね社告 | 本社 | |
5月14日 | 大久保利通内務卿、暗殺される | 一般・マスコミ | |
6月1日 | 東京株式取引所が開業(8.15大阪も) | 一般・マスコミ | |
8月23日 | 竹橋事件(近衛砲兵隊の暴動)で号外発行 | 本社 | |
8月30日 | 天皇の東海・北陸巡遊に饗庭篁村随行 | 本社 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月4日 | 「雑譚」欄を1面に掲載(~'87.1)。社説の初期形態。本紙が小新聞から“中新聞”へ移行する意欲の表れだった。執筆は初め加藤九郎が一人で担当、のち高畠藍泉、饗庭篁村、高田早苗らが加わる | 本社 | |
1月25日 | 「朝日新聞」(大阪)創刊 | 一般・マスコミ | |
12月8日 | 東京警視本署、新聞雑誌などの呼び売りを禁止 | 一般・マスコミ | |
12月10日 | 呼び売りが禁止されても「読売」の題字不変と表明 | 本社 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月5日 | 内務省に新聞検閲掛を置く//(11.20司法省にも) | 一般・マスコミ | |
10月8日 | 東京府庁から布告布達の掲載を命じられる(東日と2紙だけ) | 本社 | |
10月22日 | 新聞雑誌発禁の理由に「風俗壊乱」を加える(太政官布告) | 一般・マスコミ | |
11月16日 | 東京警視本署から同署布達の掲載を命じられる(朝野など5紙も) | 本社 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月4日 | 紙幅拡張、初の横書き題字を使用。購読料1枚1銭3厘、月25銭に初の値上げ | 本社 | |
1月4日 | 成島柳北、「朝野」社長のまま雑譚執筆陣に参加 | 本社 | |
3月18日 | 西園寺公望・中江兆民の「東洋自由新聞」創刊(4.30廃刊) | 一般・マスコミ | |
9月17日 | 森林太郎(鴎外)が寄書欄に初投稿 | 本社 |