(株)読売新聞社『読売新聞百二十年史』(1994.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和26年(1951) - 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 渋沢関係略年譜
10月1日 朝夕刊ワンセット制に移行。前月までの購読料朝刊130円夕刊100円は朝夕刊6ページのセットで220円となった 本社
10月1日 8時間勤務体制を実施(11.10新労働協約を結ぶ) 本社
10月24日 社会党再び左右に分裂 一般・マスコミ
11月1日 社会面「逆コース」連載開始。流行語となる 本社
11月6日 第1回青森―東京駅伝始まる 本社
12月12日 「魚河岸浄化」のキャンペーン始まる 本社
12月 元日付録用に本社初の多色印刷 本社
- 吉田茂内閣(~19--年) 一般・マスコミ
昭和27年(1952) - 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 渋沢関係略年譜
1月18日 韓国「李承晩ライン」宣言 一般・マスコミ
3月1日 編集主幹(安田)の名称を主幹と改める 本社
3月 機報部に航空班を設置 本社
4月9日 日航機「もく星号」三原山で遭難(死者37、戦後初の航空惨事) 一般・マスコミ
4月10日 「もくせい号」遭難で戦後よみうり1号機101号出動 本社
4月28日 対日平和条約、日米安保条約が発効、プレスコード等失効、航空取材も自由に 一般・マスコミ
5月1日 メーデーの一部分子、皇居前で警官隊と衝突(血のメーデー) 一般・マスコミ
5月1日 「アカハタ」復刊 一般・マスコミ
7月3日 「旬刊読売」('51.11~)が「週刊読売」となる 本社
7月19日 ヘルシンキ五輪に戦後初参加 一般・マスコミ
10月1日 共同通信社を脱退(朝日・毎日も。'57・2.1から国際記事に限り配信を受ける) 本社
10月15日 日本テレビ放送網株式会社を創立、社長に正力松太郎 本社
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