(社)日本工業倶楽部『日本工業倶楽部五十年史』(1972.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
11月30日 東京株式市場大暴騰(大戦景気起る)
12月18日 日本橋倶楽部に和田豊治、大橋新太郎、植村澄三郎、藤原銀次郎、吉村鉄之助、諸井恒平の六氏参集、日本工業協会とは別に東京工業倶楽部を創設することを決議す
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月20日 工業倶楽部創立発起人会、帝国ホテルにて開催、京浜有力実業人135名参集、創立委員を選定、その後数回会合協議を重ね、倶楽部名を「日本工業倶楽部」とすることに決定
1月22日 工場監督官設置
3月1日 日本染料会社設立
4月25日 経済調査会官制公布
5月6日 製鉄業調査会官制公布
8月11日 横浜ドック1,200人不当解雇反対でスト
9月1日 工場法施行
10月30日 株式市場人気沸騰
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
3月10日 日本工業倶楽部、鉄道協会にて創立総会を開催、理事長団琢磨氏、専務理事に和田豊治、大橋新太郎、郷誠之助、中島久万吉諸氏就任、茲にわが国工業界を代表する有力団体誕生する
3月12日 ロシア2月革命、ロマノフ王朝断絶
3月14日 室蘭日本製鋼所3,000人、賃上げスト
4月7日 社団法人日本工業倶楽部設立許可
6月10日 日本工業倶楽部、製鉄事業の保護奨励についての意見書を政府へ提出
6月16日 築地精養軒にて、日本工業倶楽部設立披露晩餐会を開く、朝野の元勲、名士250名参集
6月19日 三菱長崎造船所、12,000人賃上げを要求してスト
7月25日 製鉄業奨励法公布(9月1日施行)
8月11日 大日本実業組合聯合会結成
8月30日 暴利取締りのため、物価調節令公布
PAGE TOP