"片倉兼太郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治11年(1878) | 6月5日 | 初代片倉兼太郎は新家片倉光治と相謀り、長野県諏訪郡川岸村三沢区字垣外に三十二人繰の洋式機械製糸を新設し垣外製糸所と称した。 | 片倉組時代 |
明治12年(1879) | 7月 | 片倉兼太郎、尾沢金左衛門、林倉太郎外十二名は相諮り、共同出荷組合開明社を組織した。 | 片倉組時代 |
昭和9年(1934) | 1月8日 | 取締役会長二代片倉兼太郎逝去す。 | 片倉製糸紡績株式会社 |
昭和11年(1936) | 9月8日 | 故二代片倉兼太郎の遺徳を記念して高徳会を創設した。 | 片倉製糸紡績株式会社 |
昭和17年(1942) | 12月15日 | 取締役社長片倉兼太郎、顧問今井五介は全国経済界代表として政府主催の懇談会に招請され、畏くも天皇陛下に拝謁の栄を賜つた。 | 二十年誌以降 |
昭和18年(1943) | 4月26日 | 取締役社長片倉兼太郎は日本蚕糸製造株式会社社長に就任した。 | 二十年誌以降 |
昭和19年(1944) | 4月10日 | わが社全額出資(資本金壱千万円)の下に諏訪航空工業株式会社を設立した。//取締役社長 片倉兼太郎 | 二十年誌以降 |
昭和20年(1945) | 11月7日 | 本社においてわが社並に関係会社工場長及び日本蚕糸製造株式会社片倉系工場長外関係者参集、蚕糸業復元につき取締役社長片倉兼太郎並に顧問今井五介の訓示があつた。 | 二十年誌以降 |
昭和22年(1947) | 1月15日 | 取締役社長片倉兼太郎逝去す。 | 二十年誌以降 |
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