※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 第1期復興計画工事を完了し、本社工場17棟竣工 | 当社事項 | |
8月 | 日本染色工業会が設置され、染色加工品の輸出を企画・促進する | 社会・一般事項 | |
11月3日 | 日本国憲法公布(1947年5月3日施行)、「憲法記念日」制定 | 社会・一般事項 | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月26日 | 昭和天皇、復興激励のため本社工場をご視察 | 当社事項 | |
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月28日 | 福井大地震発生、本社工場は壊滅的被害を受ける | 当社事項 | |
8月10日 | 本社工場は被災後43日間で仮復旧、操業を再開 | 当社事項 | |
12月1日 | 東京事務所と大阪事務所を開設し、営業を始める | 当社事項 | |
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 政府許可制や統制の法律が撤廃され、自由競争時代を迎える | 当社事項 | |
4月25日 | GHQが単一為替レート「1ドル360円」を設定 | 社会・一般事項 | |
5月26日 | 生糸および絹織物の価格統制廃止、人絹糸人絹織物配給制度廃止 | 社会・一般事項 | |
11月17日 | 工業技術院より特許使用許可を得て、人絹織物樹脂加工を始める | 当社事項 | |
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
6月25日 | 朝鮮戦争勃発(1953年7月休戦協定調印)、特需景気 | 社会・一般事項 | |
10月 | 産業教育訓練「TWI」を導入 | 当社事項 | |
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
2月19日 | 福井人絹取引所再開 | 社会・一般事項 | |
4月 | 人絹の尿素メラミン樹脂加工法開発、本社工場でクレポニー加工開始 | 当社事項 | |
7月19日 | 全繊維製品が15年ぶりに自由販売となる | 社会・一般事項 | |
9月8日 | 対日平和条約および日米安全保障条約調印(1952年4月28日発効) | 社会・一般事項 | |
昭和27年(1952) | - | 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 勝山工場にヒートセッターを開発設置し、ナイロントリコットの染色加工開始 | 当社事項 | |
4月10日 | 福井復興博覧会開催 | 社会・一般事項 | |
4月20日 | 深刻な不況に対応し希望退職(124人)、60歳定年制実施 | 当社事項 |