帝国人造絹糸(株)『当社の沿革と化学繊維工業の概観 : 創立三十周年記念』(1949.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】排日問題善後策を講ずるため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
12月12日 広島工場作業を開始す//製品一五〇デニールより太糸日産第一期七〇〇封度
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
4月1日 第三回株式払込金壱株弐拾五円宛合計五拾万円徴収を決定す
5月6日 右[第三回株式払込金]払込完了し株式全額払込を終了す(払込済金壱百万円)
5月11日 社債金壱百万円発行を決議す
5月 米沢工場の月産一万封度となる
8月 欧米視察中の久村清太氏帰朝す
11月 広島工場第一期拡張工事完成す
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
1月8日 本社を神戸市海岸通一〇番地鈴木商店内に移転す
2月 米沢工場の月産一万封度を一万五千封度に増加す
9月1日 関東に大震災突発し、当時、京浜間に滞積した輸入人絹糸約二千梱は烏有に帰し、人絹の最大需要家であつた肩掛製造家に多大の打撃を与う
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】日仏会館開館・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
1月 米沢工場にてリボン、ストロウを出市す
1月 米沢工場月産三万封度//広島工場月産六万六千封度
6月25日 監査役森衆郎氏辞任、内海静太郎氏当選就任す
7月1日 メートル法実施
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
5月10日 臨時株主総会を開催し資本金を百万円から五百万円に増額決定す//増資新株八万株は旧株一株に付四株を割当て十四日迄に全部の引受終了す
5月27日 増資新株第一回払込金一株に付弐拾五円を徴収し、払込済資本金参百万円となる
7月 山口県玖珂郡麻里布村及川下村に敷地八万坪を購入し第三工場岩国工場(日産三万封度計画)の建設に着手す
8月1日 岩国工場地鎮祭並に起行式を挙行す
8月25日 監査役松田茂太郎氏死去す
9月12日 臨時株主総会を開催し同月二十五日から広島工場を担保とする物上担保附社債金弐百五拾万円を藤本ビルブローカー銀行引受にて募集したところ、非常な好評をもつて迎えられ、発売両三日で満額に達す
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