帝国製麻(株)『帝国製麻株式会社三十年史』(1937.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治40年(1907) - 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 渋沢関係略年譜
7月26日 日本製麻株式会社と北海道製麻株式会社と合併帝国製麻株式会社を設立す//安田善三郎氏取締役社長に宇野保太郎氏常務取締役(札幌在勤)に就任す//男爵渋沢栄一、安田善次郎の両氏を相談役に推薦す//宮内二朔、上野栄三郎の両氏支配人に就任す
8月25日 日光製品工場は大谷川の大洪水により土地三千二百余坪建物多数流失す
9月6日 本店に監査、営業及庶務の三部を置き営業部に商務課、会計課庶務部に庶務課、工務課を置く//地方に支店、製品工場、製線本部、製線工場及農場を置く
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
8月23日 旭川製線工場焼失す
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
1月18日 相談役安田善次郎氏辞任す
1月30日 雁来製線工場焼失す
3月30日 真狩製線工場の設備完成し運転を開始す
4月14日 相談役渋沢栄一氏辞任す
10月12日 常務取締役宇野保太郎氏常務(札幌在勤)を辞任す
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
2月23日 日光製品工場のカード室より出火全工場の三分の二を焼失す
4月11日 江口晒白場を新設す
7月27日 取締役土岐〓[イ+黄]氏常務に就任し支配人上野栄三郎氏辞任す
8月10日 日光製品工場は大谷川の大洪水に依り土地千余坪建物二棟押流さる
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
2月24日 本店分課を秘書役場、営業部(販売課、記録課)庶務部(庶務課、会計課)工務部(経理課、作業課)監査部(調査課、地方課)に改む
2月24日 支配人制廃止せらる
3月5日 支配人宮内二朔氏辞任す
3月 鹿沼製品工場カード室其他を増築す
7月24日 取締役雑賀良三郎氏常務に就任す
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
7月 士別製線工場焼失す
9月15日 札幌製品工場に於て電力使用を開始す
PAGE TOP