※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 檜山製線工場の運転を開始す | ||
8月17日 | 和寒製線工場設備完成開業式を挙行す | ||
10月18日 | 今金製線工場設備完成開業式を挙行す | ||
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 軽米製線工場運転を開始す | ||
7月29日 | 定時株主総会に於て資本金一千二百八十万円を三千万円に増額を決議す(第二回増資) | ||
8月24日 | 営業部記録課、監査部及農場を廃し新に庶務部に調査課を置く | ||
11月 | 三本木製線工場運転を開始す | ||
12月30日 | 取締役社長安田善三郎、常務取締役伊臣真の両氏辞任す | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 安田善之助氏取締役社長に就任す | ||
2月17日 | 本店に新に技術部(技術課、人事課)を置く | ||
2月28日 | 日光製品工場を閉鎖し日光発電所を帝国電灯株式会社へ譲渡す | ||
6月24日 | 常務取締役土岐〓[イ+黄]氏辞任す | ||
6月 | 盛岡製線工場運転を開始す | ||
7月28日 | 菅原大太郎氏常務取締役に就任す | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月23日 | 常務取締役菅原大太郎氏常務を辞任す | ||
7月25日 | 取締役社長安田善次郎氏(善之助改名)社長を辞任す//取締役安田善助氏社長に取締役阪本治郎、同鈴木鈴馬の両氏常務に就任す | ||
8月1日 | 日本製麻株式会社並に日本麻糸株式会社との協定に基き東京市京橋区南伝馬町第一相互ビル内に共同販売所を設置す | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月28日 | 臨時株主総会に於て当社へ日本麻糸株式会社を合併資本金三千万円を三千百七十五万円に増額を決議す(第三回増資) | ||
8月1日 | 日本麻糸株式会社を合併す | ||
9月1日 | 大震火災のため本店、新堀倉庫、横浜支店及横浜倉庫類焼す |