東洋紡績(株)『東洋紡績七十年史』(1953.05)

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月日 事項 年表種別
明治12年(1879) 3月 (大阪紡績会社)滞英中の山辺丈夫に英国紡績業の実際を調査研究せしむ 当社
明治13年(1880) 7月12日 (大阪紡績会社)山辺丈夫帰朝す 当社
11月 (大阪紡績会社)山辺丈夫を紡績組合(大阪紡績の前身)の雇員に採用す 当社
明治20年(1887) 5月10日 (大阪紡績会社)第三号工場の機械買入れ並に建築法取調べのため山辺丈夫を英国に派遣す 当社
11月6日 (大阪紡績会社)滞英中の工務支配人山辺丈夫、新式リング竪針紡機三万錘、原動機八百馬力を購入して帰朝す 当社
明治21年(1888) 6月 (大阪紡績会社)工務支配人山辺丈夫、大日本綿糸紡績同業聯合会幹事に当選す 当社
明治23年(1890) 5月26日 (大阪紡績会社)工務支配人山辺丈夫、紡聯初代委員長に当選す 当社
明治28年(1895) 1月12日 (大阪紡績会社)取締役伊庭貞剛、監査役藤本文策辞任し、山辺丈夫取締役に、広瀬満正監査役に就任す 当社
10月1日 (大阪紡績会社)取締役山辺丈夫、金沢仁平とともに紡聯委員として上海に赴き清国工業を視察、十一月七日帰社す 当社
明治31年(1898) 1月 (大阪紡績会社)社長松本重太郎辞任に伴い、山辺丈夫社長に、広瀬満正取締役に、秋馬新三郎監査役に、松本重太郎相談役に就任す 当社
明治33年(1900) 1月24日 (大阪紡績会社)社長山辺丈夫欧米へ出張す 当社
5月24日 (大阪紡績会社)社長山辺丈夫、米国自働織機五百台、同附属機械購入の上帰朝す 当社
12月19日 (大阪紡績会社)社長山辺丈夫、紡聯委員長に選挙さる 当社
明治35年(1902) 5月17日 (大阪紡績会社)社長山辺丈夫、緑綬褒章を下賜さる 当社
明治36年(1903) 4月27日 (大阪紡績会社)社長山辺丈夫、紡聯委員長に就任す 当社
明治39年(1906) 5月18日 (大阪紡績会社)社長山辺丈夫、綿布販売視察のため満韓に出張し、六月二十二日帰社す 当社
明治41年(1908) 12月18日 (大阪紡績会社)株主総会にて社長山辺丈夫の功績を表彰するため銅像建設の議を決定す 当社
明治44年(1911) 5月 (大阪紡績会社)社長山辺丈夫欧州へ出張し、九月二十四日帰社す 当社
11月18日 (大阪紡績会社)社長山辺丈夫の銅像竣工し、除幕式を挙行す 当社
大正3年(1914) 4月10日 (大阪紡績会社)臨時株主総会を開催、三重紡績株式会社と合併の件を可決し、設立委員に山辺丈夫、阿部房次郎当選す 当社
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