※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月17日 | 四日市工場電灯装置完成 | 当社事項(三重紡績) | |
10月 | 副支配人川邨利兵衛、綿産地の視察のためサイゴン・カンボジア・シャムに出張(12月帰国) | 当社事項(大阪紡績) | |
12月4日 | 府県名確立 | 一般事項 | |
明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 大日本帝国憲法発布 | 一般事項 | |
3月15日 | 大日本綿糸紡績同業聯合会第二回総会開催 | 業界事項 | |
5月25日 | 『聯合紡績月報』第一号発行 | 業界事項 | |
7月9日 | 印度綿花事情調査の農商務省書記官佐野常樹に大阪紡績川邨利兵衛と、三重紡績杉村僊之助同行 | 当社事項(大阪紡績・三重紡績) | |
8月15日 | 難波紡績会社創立(のちの合同紡今宮支店) | 業界事項 | |
12月 | 第三号工場完成 | 当社事項(大阪紡績) | |
- | 印度綿花を初めて輸入し混綿して左二〇番手を紡出 | 当社事項(大阪紡績・三重紡績) | |
- | 綿糸約五〇俵を清国へ試売 | 当社事項(大阪紡績) | |
明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 製糸販売店を開設(大阪市東区本町三丁目) | 当社事項(大阪紡績) | |
4月26日 | 商法公布 | 一般事項 | |
4月 | 難波紡績会社、今宮紡績会社と改称 | 業界事項 | |
5月26日 | 工務支配人山辺丈夫、紡聯初代委員長に当選(29・8まで) | 当社事項(大阪紡績) | |
6月15日 | 第一次紡績操業短縮開始(一ヵ月八昼夜休業、二四日間実行) | 業界事項 | |
10月1日 | 大阪織布会社を買収、紡織兼営開始(同社設備汽織機三三三台) | 当社事項(大阪紡績) | |
11月1日 | 委員長九鬼紋七と交代 | 当社事項(三重紡績) | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月9日 | 製糸販売店を製糸販売本店と改称し、東京に販売支店を開設 | 当社事項(大阪紡績) | |
3月1日 | 第二工場全運転開始 | 当社事項(三重紡績) |