※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月6日 | [三重紡績]綿糸販売のため名古屋市上長者町五丁目に出張店開設 | [当社事項] | |
7月30日 | [大阪紡績]左二〇番手五梱を清国厦門に輸出 | [当社事項] | |
10月28日 | [大阪紡績][三重紡績]濃尾地震により工場その他施設の一部罹災 | [当社事項] | |
- | 印度タタ商会、神戸に支店開設、印度綿直輸入の途開く | 業界・一般事項 | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月20日 | [大阪紡績]本社第二工場出火、第一工場も共に全焼 | [当社事項] | |
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | [大阪紡績]有限責任会社を株式会社組織に変更 | [当社事項] | |
10月8日 | [三重紡績]株式会社組織に改め取締役会長九鬼紋七選出 | [当社事項] | |
明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
4月14日 | [三重紡績]織布販売を兼営とすべく織機新設を決議 | [当社事項] | |
8月1日 | 日清戦争はじまる | 業界・一般事項 | |
9月 | [大阪紡績]火災復旧工事完成、紡機リング二万余錘新設 | [当社事項] | |
- | [大阪紡績]織布商標(雄〓[谿の谷がふるとり]・獅子・織姫など登録) | [当社事項] | |
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | [三重紡績]愛知分工場完成 | [当社事項] | |
4月17日 | 日清講和条約調印 | 業界・一般事項 | |
10月1日 | [大阪紡績]取締役山辺丈夫紡聯委員として上海に赴き清国を視察(11・7帰国) | [当社事項] | |
11月8日 | 遼東半島還付条約調印 | 業界・一般事項 | |
12月15日 | [三重紡績]愛知分工場、織機試運転開始 | [当社事項] | |
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | [三重紡績]常務取締役伊藤伝七、上海に渡航、綿糸布事情を調査視察し、タタ商会の所有地を買収(4・1帰国) | [当社事項] | |
5月6日 | 紡聯、日本郵船・PO汽船など四社と印綿回漕につき連合契約を締結 | 業界・一般事項 | |
5月25日 | [三重紡績]織布工場機械据え付け完了 | [当社事項] | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月23日 | 鐘紡の職工争奪紛争、岩崎日銀総裁の裁定で落着 | 業界・一般事項 |