東洋棉花(株)『東棉四十年史』(1960.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
5月8日 支那綿水気排除会設立//会員―三井物産、鐘紡、東京紡、小名木川綿布 当社
5月8日 日清講和 一般事項
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
4月1日 綿花輸入税撤廃 一般事項
7月2日 営口代理店設置 当社
7月2日 対英印綿糸輸出開始 一般事項
- 清国市場に対する日本綿糸の輸出高英国品を凌駕 一般事項
- 本邦印度綿輸入高中国綿を凌駕 一般事項
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
3月29日 金本位制決定(十月一日実施) 一般事項
- 豊田佐吉木製小巾動力織機を完成 一般事項
- 綿糸輸出高始めて輸入高を凌駕 一般事項
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
8月1日 棉花部を改め棉花首部とす 当社
9月2日 綿商四十余店日本綿花同盟会結成 一般事項
11月3日 日本綿花同業会設立 一般事項
- 始めてエジプト綿輸入 一般事項
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
- 各地支店、出張員設置//仁川(二月二七日)厦門(三月二三日)横須賀(五月一五日)ハンブルグ(八月一三日)門司(一〇月四日)漢口(一〇月七日) 当社
- (年末全使用人数五三六人) 当社
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月15日 北清事変(義和団)起る 一般事項
11月9日 棉花首部廃止 当社
11月9日 年末九州に金融恐慌起り翌年四、五月大阪、京都に波及し銀行取付けおこる 一般事項
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
12月5日 大阪糸綿、木綿取引所を大阪三品取引所と改称 一般事項
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