東洋レーヨン(株)『東洋レーヨン35年の歩み : 1926-1961』(1962.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
7月 三井物産株式会社内にレーヨン会社設立に関する基本準備を行なうため、特別室を設置する。
8月4日 三井物産重役会にレーヨン会社設立趣意書提出される。
8月5日 三井合名会社理事会にレーヨン会社設立案上程可決される。
9月2日 安川雄之助、武村貞一郎、南条金雄、小林正直、川村貞次郎、中丸一平、加地利雄、友野欽一、河原林檉一郎の9名が発起人となり定款を作成する。
9月23日 社名「東洋レーヨン株式会社」決定される。
9月25日 当社設立にあたり、第1回株式払込金250万円の払込徴収を完了する。
10月1日 レーヨン糸製造設備をドイツのオスカーコーホン社へ発注する。
11月3日 三井物産欧州総監督 瀬古取締役を中心として外人技師ミネリー、スターレー、ケーラー等ウィーンにおいて工場建設の打合せを行なう。
11月14日 三井物産 野村礼三郎、小沼三義 人絹機械調査のため、種村功太郎、木股寅栄 三井物産海外練習生として、それぞれ欧州へ出張する。
11月 滋賀工場敷地買収認可申請書を滋賀県知事に提出し、同認可を受ける。
12月 滋賀工場建設敷地決定される。
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
1月12日 東洋レーヨン株式会社創立総会を開催する。(資本金1千万円、会長安川雄之助)
4月16日 滋賀県知事より滋賀工場設置の許可を受け、この日を当社創立記念日(併せて現在の滋賀工場記念日)と定める。
4月18日 第1工場地鎮祭を行ない、建設に着手する。
6月1日 第2回株式払込徴収を完了し、払込資本金5百万円となる。
8月16日 第1回定時株主総会を東京にて開催する。
9月6日 第3回株式払込徴収を完了し、払込資本金750万円となる。
11月2日 第4回株式払込徴収を完了し、払込資本金1千万円となる。
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
4月 (末)第1工場完成し、本年末レーヨン糸設備日産5.4トンとなる。
6月1日 会社職務章程を制定し、工場部を設置する。
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