東洋レーヨン(株)『東洋レーヨン35年の歩み : 1926-1961』(1962.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
8月21日 会長 伊藤与三郎 代表取締役に就任する。
8月 第4次企業整備によりレーヨン糸設備日産20.6トン(滋賀)レーヨンステープル設備日産5.5トン(滋賀)を供出する。〔これをもってレーヨン糸設備は日産46.1トン(滋賀)、レーヨンステープル設備は日産74.5トン(滋賀32.3トン、愛媛42.2トン)となる〕
8月 企業整備によりスフ紡40,241錘(愛媛15,517錘、瀬田24,724錘)、レーヨン織機872台(愛媛372台、瀬田500台)を供出する。(以降昭和19年までに愛媛より22,731錘、および他社より購入の8,000錘を供出する)
9月1日 瀬田工場を三井精機工業株式会社に売却し、同工場保有設備スフ紡27,232錘、レーヨン織機250台を愛媛工場へ移設する。
9月3日 海軍へナイロン樹脂を初出荷する。(滋賀)
11月1日 本部労務厚生部を廃止し、勤労部を設置する。
11月 高重合度レーヨンステープルの生産を開始する。(滋賀)
12月27日 第36回定時株主総会において定款の一部を改正する。(決算期を3月末日および9月末日に、株主総会を5月および11月に変更)
12月 桜島染工場は陸軍第二造兵廠宇治製作所に接収される。
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月11日 軍に接収された桜島染工場の代替として、京都晒染工業株式会社の既設染色工場を買収し、当社山科電機工場と命名する。
1月 「アミラン」テグスの生産を中止する。(滋賀)
2月28日 常務取締役 井上治一 代表取締役に就任する。
3月1日 滋賀工場の繊維製造部、化学品部、特殊軍需部を廃止し、人繊部、合成部、兵器部を設置する。
3月29日 二硫化炭素の自給を図るため昭和工業株式会社の株式を取得する。
3月 企業整備によリレーヨン織機163台(株式会社武生織布工場112台、金津46台、滋賀5台)を供出する。〔これをもってレーヨン織機124台(金津)となる〕
4月10日 滋賀工場工務部を設置し、勤労課は勤労部となる。
4月15日 本部勤労部を厚生部と改称し、紡織部は業務部紡織課となり、工務部を廃止する。
5月20日 第37回定時株主総会において定款の一部を改正する。(取締役会長並びに専務取締役を廃止し、互選により代表取締役を定め、1名を社長とし、他を常務取締役とする)
5月20日 会長 伊藤与三郎 会長を退任し、社長に就任する。
8月8日 本部を廃止し、本店に総務部、業務部、経理部(滋賀)、研究部(滋賀)を設置する。
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