内外綿(株)『内外綿株式会社五十年史』(1937.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
8月8日 秋馬新三郎、渋谷庄三郎、渋谷正十郎、中野太右衛門等の諸氏発起人となり資本金五拾万円を以て汎く内外棉花の販売を目的とする有限責任内外綿会社創立を計画、大阪東区今橋一丁目十五番地に仮事務所を設け其の設立願書に定款を添へ大阪府知事へ願出づ
8月12日 大阪府知事より内外綿会社の設立認可せらる
8月16日 従前の綿商を廃業当社に合同したる諸氏の繰棉商標銘印を当社に譲受く//商標登録願並に商標譲与願を大阪府庁経由農商務省へ出願
8月27日 創立総会開催、役員選挙及び左の各件を議決//一、株主中より取締役三名を選任、他の役員は重役会議の決議に依り指名選定のこと//一、明治二十年九月一日を以て開業のこと//一、清国上海に支店設置のこと//一、大阪に棉繰工場設置のこと//一、九月十五日第一回株式払込一株に付金五円宛を徴収し仮株券を発行すること//一、定款中一部改正//右決議に依り左の通り役員選任//取締役頭取 阿部彦太郎 取締役 松本重太郎 取締役 秋馬新三郎 商議係 渋谷庄三郎 商議係 中野太右衛門 支配人 渋谷正十郎 副支配人 斎藤善徳
8月29日 頭取、取締役上人届を大阪府庁に提出//定款改正承認の件を大阪府庁へ出願
8月30日 仮事務所を廃し新に北区源蔵町二十七番地に本社を設置
9月1日 本社開業届並に営業鑑札下付の件を北区役所に出願、即日聞届けられ営業鑑札下付//開業
9月5日 定款改正承認の件大阪府庁より聞届の指令を受く//兵庫県西宮有岡太一郎氏の商標譲与願を兵庫県庁を経て農商務省に出願
9月14日 本田棉繰工場営業鑑札下付の件を西区役所に出願、即日聞届済
9月15日 第一回株式払込(一株に付金五円、合計金弐万五千円)徴収
9月18日 東京通四丁目西川庄六氏並に東京小津清右衛門氏外八名と繰棉銘印専用の特約を締結
9月30日 府下西区本田二丁目馬詰与兵衛氏所有の綿繰工場を諸器械共有姿の儘借受け営業//三井物産会社大阪支店と折鶴銘印の棉売買を約定
10月1日 渋谷亀之助氏本田棉繰工場支配人となる
10月5日 第二回株式払込(一株に付金拾円、合計金五万円)徴収
10月20日 府下東区京橋三丁目大阪綿会社所有の建家土蔵四箇所並に地所共買受け当社の倉庫に充つ
11月15日 第三回株式払込(一株に付金拾円、合計金五万円)徴収
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
4月19日 社員斎藤与七、呉泰寿の両氏上海支店設置計画の用務を帯び渡支
6月22日 府下北区西堀川町十二番地渋谷亀之助氏所有の建家土蔵並に地所共買受け当社の倉庫とす
6月26日 全国紡績聯合会評議の結果支那棉買入方を当社一手にて取扱ふことに決定、「大日本聯合紡績用達」の看板を掲ぐべきやう同会幹事山辺丈夫氏より通達に接す
9月27日 社員渋谷亀之助、呉泰寿の両氏支那棉買入の為め上海地方へ出張
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