ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治25年(1892) - 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 渋沢関係略年譜
8月8日 福島紡績(のちの敷島紡績)創立。 業界ならびに内外情勢
10月13日 尼崎・摂津・平野・天満の4紡績当事者と大阪の綿花商ら25名が発起した日本綿花会社(のちの日綿実業)創立。 業界ならびに内外情勢
11月1日 (岸和田紡績) 寺田甚与茂・初代岸村徳平ら25名は岸和田紡績の発起出願。 ニチボー関係
11月25日 (岸和田紡績) 岸和田紡績創立、資本金250,000円、初代社長に寺田甚与茂。 ニチボー関係
12月5日 (尼崎紡績) 尼崎本社工場の増錘分2,304錘全運転。 ニチボー関係
12月25日 (野田紡績) 野田紡績創立、資本金250,000円、社長に山本治兵衛、(元摂津紡績取締役)。 ニチボー関係
- (日本紡績) 金沢仁兵衛・2代伊藤九兵衛ら発起の大阪瓦斯糸紡績所と近藤喜禄ら発起の大阪瓦斯糸紡績会社は合体して日本紡績の設立を申請することになる。 ニチボー関係
明治26年(1893) - 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
1月6日 (尼崎紡績) 3代社長に福本元之助。資本金630,000円に増資。 ニチボー関係
1月24日 (摂津紡績) 有限責任摂津紡績会社を商法改正により摂津紡績会社と改める。 ニチボー関係
1月 英国プラット・ブラザーズ社技師エンレイ来日。 業界ならびに内外情勢
2月7日 (日本紡績) 設立願書を提出。 ニチボー関係
3月15日 (日本紡績) 日本紡績創立、資本金2,000,000円、初代社長に金沢仁兵衛、支配人に末吉平三郎。 ニチボー関係
4月20日 (尼崎紡績) 大阪電話交換局開設(3月)され尼崎紡績本社は大阪府西成郡伝法村より尼崎の本社工場までの越県電柱・電線3里8町49間5尺(約13キロ)を自力で架設献納することとなる。 ニチボー関係
5月2日 (郡山紡績) 郡山紡績創立、資本金250,000円、初代社長に前川迪徳(同月12日届出)。 ニチボー関係
5月13日 (尼崎紡績) 尼崎本社第1工場の北側に第2工場の建設を開始。 ニチボー関係
5月27日 (尼崎紡績) 社員田代重右衛門入社。 ニチボー関係
6月1日 (尼崎紡績) 社債募集。 ニチボー関係
6月 (尼崎紡績) エンレイの指導によって本社第2工場において生産予定の32番手および42番手の撚糸を試生産。 ニチボー関係
7月1日 (尼崎紡績) 商法1部(旧会社編)施行に伴い有限責任尼崎紡績会社を尼崎紡績株式会社と改称。 ニチボー関係
11月2日 (尼崎紡績) 尼崎本社工場と大阪出張所間に電話開通。尼崎における大阪市内電話の越県仮説のはじまり。 ニチボー関係
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