※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 薩摩島津藩は堺紡績所の敷地を泉州境港戎島に予定して出願。 | 業界ならびに内外情勢 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 鳥羽・伏見の戦。 | 業界ならびに内外情勢 | |
1月15日 | 明治天皇元服。 | 業界ならびに内外情勢 | |
3月14日 | 五箇条の御誓文発布。 | 業界ならびに内外情勢 | |
4月11日 | 江戸開城。 | 業界ならびに内外情勢 | |
7月17日 | 江戸を東京と改める。 | 業界ならびに内外情勢 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 慶応を改元して明治となる。 | 業界ならびに内外情勢 | |
9月22日 | 会津落城。 | 業界ならびに内外情勢 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月8日 | (堺紡績所) 鹿島紡績所薩摩島津藩営の堺紡績所(島津紡績所ともいう)は鹿児島紡績所よりミュール2,000錘を移して操業を開始、五代友厚は薩摩藩の堺紡績所係となり石河確太郎正龍が工場を主管。 | ニチボー関係 | |
7月19日 | 普仏戦争勃発。 | 業界ならびに内外情勢 | |
9月19日 | 平民に姓氏を許可。 | 業界ならびに内外情勢 | |
- | (鹿島紡績所) 東京日本橋伝馬町の木綿問屋組合頭取鹿島万平は東京滝野川村に日本における純民間資本の最初の紡績である鹿島紡績所を設立。 | ニチボー関係 | |
- | 国旗「日の丸」を制定。 | 業界ならびに内外情勢 | |
- | 戸籍法制定。 | 業界ならびに内外情勢 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月18日 | 独乙帝国成る。 | 業界ならびに内外情勢 | |
5月10日 | 新貨条例正布され1両を1円と改める金銀貨幣令制定。 | 業界ならびに内外情勢 | |
7月14日 | 廃藩置県。 | 業界ならびに内外情勢 | |
7月29日 | 太政官職制改正され太政大臣に三条実美。 | 業界ならびに内外情勢 | |
- | 大阪造幣寮竣工、京都舎密局設置。 | 業界ならびに内外情勢 | |
- | 散発・廃刀を許可し裸を禁止。 | 業界ならびに内外情勢 |