※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 岡山・渋谷・下野・豊井・市川らの紡績所創立され政府輸入紡機の受入れを急ぐ。 | 業界ならびに内外情勢 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月14日 | 警視庁設置される。 | 業界ならびに内外情勢 | |
3月14日 | 憲法条例制定。 | 業界ならびに内外情勢 | |
4月7日 | 内務省勧農局と大蔵省商務局を廃して農商務省設置。 | 業界ならびに内外情勢 | |
10月29日 | 自由党結成。 | 業界ならびに内外情勢 | |
12月 | 官営愛知紡績所開業(のちの名古屋紡績)。 | 業界ならびに内外情勢 | |
- | (堺紡績所) 堺紡績所は肥後孫左衛門の手より川崎正左衛門の所有に移り川崎紡績所と移すようになる。川崎は肥後と同じく浜崎太平次の元番頭である。之実上は川崎の一族川崎正蔵の実情に属したとつたえられる。 | ニチボー関係 | |
- | (鹿島紡績所) 鹿島紡績所はドラムをつくる。 | ニチボー関係 | |
- | 東京職工学校(のちの東京高等工業学校、現在の東京工業大学)開校。 | 業界ならびに内外情勢 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月14日 | 立憲改進党結成。 | 業界ならびに内外情勢 | |
4月7日 | 自由総裁板垣退助岐阜で襲撃される。 | 業界ならびに内外情勢 | |
5月3日 | 大阪紡績(のちの東洋紡績)創立。 | 業界ならびに内外情勢 | |
10月10日 | 日本銀行開業。 | 業界ならびに内外情勢 | |
10月 | 紡績聯合会創立。 | 業界ならびに内外情勢 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月5日 | 大阪紡績は大阪市西区三軒屋家の新工場にミュール10,500錘を試運転、日本における近代的綿紡工場のはじまりである。 | 業界ならびに内外情勢 | |
- | 2代伊藤九兵衛(のちの摂津紡績取締役)は大阪市北区平野に大阪毛布製織場(明治26年大阪毛布製造会社と改める)開設、大阪における綿毛布製造のはじまり。 | 業界ならびに内外情勢 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月9日 | 小学校令・中学校令・師範学校令公布。 | 業界ならびに内外情勢 | |
5月 | 三重紡績(のちの東洋紡績)創立。 | 業界ならびに内外情勢 | |
8月11日 | 登記法公布。 | 業界ならびに内外情勢 | |
- | (東京紡績) 田村利七は鹿島万平らと東京紡績の設立をはかる。 | ニチボー関係 |