ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】東京石川島造船所創立・委員(後に取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
4月26日 (摂津紡績) 大阪市東区道修町1丁目羽州屋、初代高田久右衛門店に摂津紡績設立事務所開設。 ニチボー関係
5月1日 (平野紡績) 平野紡績操業を開始、11,520錘。 ニチボー関係
5月9日 (摂津紡績) 摂津紡績社長に初代高田久右衛門。 ニチボー関係
5月 (尼崎紡績) 有限責任尼崎紡績会社は尼崎地元と大阪財界の合力によって広岡信五郎ら45名の発起人きまり、広岡ら10名の創立委員を選ぶ。 ニチボー関係
6月11日 (尼崎紡績) 尼崎紡績創立願書は定款を添えて兵庫県知事に提出。資本金1,000,000円、50,000錘の計画による。 ニチボー関係
6月15日 (尼崎紡績) 尼崎・大阪両地に尼崎紡績創立事務所開設を届出る。 ニチボー関係
6月19日 (尼崎紡績) 尼崎紡績創立認可 ニチボー関係
6月26日 (尼崎紡績) 尼崎紡績は平野紡績は技菊池恭三の傭聘を発起人会できめる。 ニチボー関係
7月1日 東海道線全通し新橋・神戸間に毎日1往復。 業界ならびに内外情勢
7月30日 (尼崎紡績) 尼崎紡績発起人会で資本金500,000円、第1期計画10,000錘と変更。 ニチボー関係
8月12日 (尼崎紡績) 大阪市中之島洗心舘の発起人総会で役員を選挙。役員の互選により初代社長に広岡信五郎就任。 ニチボー関係
8月17日 (尼崎紡績) 大阪事務所を東区備後町1丁目に移し大阪出張所と改称。 ニチボー関係
8月25日 (尼崎紡績) 大阪市東区平野町堺卯楼で初の株主総会。尼崎本社工場の整地を開始。 ニチボー関係
8月28日 (尼崎紡績) 商議員川田斉助に支配人兼務を命じる。 ニチボー関係
8月29日 (尼崎紡績) 平林昌伴に尼崎本社事務総監を委嘱し米沢喜行その補佐として入社。国立第一・国立第三・尼崎・逸身の4銀行との取引き開始。 ニチボー関係
9月6日 (尼崎紡績 平野紡績) 尼崎・平野の両紡績会社で菊池恭三傭聘契約書を交換。 ニチボー関係
10月5日 (尼崎紡績) 英国プラット・ブラザーズ会社に三井物産を介して機械発注。 ニチボー関係
10月12日 (堺紡績所 泉州紡績) 堺紡績所(川崎紡績所)を吸収して泉州紡績創立。資本金500,000円、発起人に地元堺の肥塚与八郎らと前川廸徳ら豊井紡績所関係、渾大防益三郎・高田年太郎・高田富士太郎ら下村紡績所関係、旧川崎紡績所代表の川崎愛之輔らが参加した。 ニチボー関係
10月20日 (泉州紡績) 泉州紡績初代社長に前川廸徳(のちの郡山紡績初代社長)。 ニチボー関係
- (東京紡績 鹿島紡績所) 東京紡績は鹿島紡績所吸収。 ニチボー関係
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