※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月16日 | (摂津紡績) 社章〓[△+せ]を登録商標とする。 | ニチボー関係 | |
12月20日 | (尼崎紡績) 尼崎本社工場の製糸事業を開始、太糸製造はじまる。 | ニチボー関係 | |
12月31日 | (摂津紡績) 木津川本社工場の19,200錘据付けを完了。 | ニチボー関係 | |
- | (光緒16年)清国北洋大臣李鴻章、上海に機器織布局を創立。中国近代綿業のはじまり。 | 業界ならびに内外情勢 | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月14日 | 保安条例実施。 | 業界ならびに内外情勢 | |
1月 | (摂津紡績) 菊池恭三工務支配人となる。 | ニチボー関係 | |
2月13日 | (尼崎紡績) 尼崎本社工場の9,216錘は全運転となり工業鑑札、大阪出張所は営業鑑札を下付され営業開始。 | ニチボー関係 | |
3月29日 | (尼崎紡績) 尼崎本社工場は神戸電灯会社により点灯され夜間操業可能となる。 | ニチボー関係 | |
4月 | (摂津紡績) 木津川本社工場全運転に入る。 | ニチボー関係 | |
5月11日 | 大津事件おこり露国皇太子遭難。 | 業界ならびに内外情勢 | |
7月16日 | (尼崎紡績) 2代社長に8代木原忠兵衛。上半期初配当年6分。払込み難のため資本金500,000円を315,000円に減資。 | ニチボー関係 | |
8月19日 | (尼崎紡績) 大阪出張所を東区安土町2丁目16番地に移す。 | ニチボー関係 | |
10月28日 | 濃尾地方大地震。 | 業界ならびに内外情勢 | |
- | 日本の綿糸布は清国(中国)へ進出開始。 | 業界ならびに内外情勢 | |
- | 仏国において硝化人絹の工業生産はじまる。 | 業界ならびに内外情勢 | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | (尼崎紡績) 商務支配人川田斎助退社に伴い工務・商務支配人制を廃し菊池恭三は支配人兼技師となる。 | ニチボー関係 | |
2月1日 | (尼崎紡績) 大阪株式取引所に尼崎紡績株式上場。 | ニチボー関係 | |
2月7日 | (尼崎紡績) 大阪出張所商務監督に元摂津紡績副支配人村上敬吉を採用。 | ニチボー関係 | |
3月19日 | (摂津紡績) 摂津紡績初代社長高田久右衛門没。 | ニチボー関係 | |
7月22日 | 尼崎・摂津・平野・大阪・天満・泉州・浪華・金巾・堂島の紡績8社は紡績工争奪防止のため摂泉紡績同盟を結成。 | 業界ならびに内外情勢 |