ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和35年(1960) - 【渋沢敬三】熊本大学における第15回日本人類学会・日本民族学協会連合大会に出席して発病、東京大学医学部附属病院に入院、療養。 渋沢関係略年譜
10月29日 (大日本紡績) 貝塚バレーの主力はブラジルの第3回世界選手権に出場、日本2位。(~11.15) ニチボー関係
11月22日 (大日本紡績) 常務取締役塩塚忠美、ブラジルより帰る。 ニチボー関係
11月30日 (大日本紡績) 平野毛糸工場女子バスケットボールチームはマニラに遠征、第5回東南アジア大会に優勝。(~12.15) ニチボー関係
12月27日 (大日本紡績) 取締役会は繊維工業設備審議会でビニロン日産24,874トンの増設が認められたのに対し新工場の建設をきめる。 ニチボー関係
- (大日本紡績) ニチボー毛糸1本としオリオン毛糸を廃止。 ニチボー関係
昭和36年(1961) - 【渋沢敬三】角川書店より『犬歩当棒録 : 祭魚洞雑録第三』刊行。 渋沢関係略年譜
1月3日 米国はキューバと断交。 業界ならびに内外情勢
1月20日 ケネディ第35代米国大統領就任。 業界ならびに内外情勢
2月8日 (大日本紡績) ニチボーブラジル定礎式。 ニチボー関係
2月 (大日本紡績) 足利毛織工場は合繊紡転換のため紡毛8セットを廃棄処分。 ニチボー関係
4月1日 原綿・原毛の輸入自由化実施。 業界ならびに内外情勢
4月12日 ソ連の人間衛星船「ボストーク」1号打上げに成功(ガガーリン少佐搭乗)。 業界ならびに内外情勢
4月17日 (大日本紡績) 坂越第2工場起工式。 ニチボー関係
4月27日 (大日本紡績) 傍系宝冠紡織廠(コロナ・テキスタイル・香港九竜)は3月18日設立されたが大日本紡績社員によって織布の据付けを行ない運転を開始。 ニチボー関係
5月2日 ケネディ米大統領、米国繊維産業援助7項目計画を発表し、国際繊維会議の開催を提唱。 業界ならびに内外情勢
5月4日 ジャカルタで第3次日本・インドネシア綿製品供給協定調印。 業界ならびに内外情勢
5月5日 米国の人間ロケット打上げ成功(シェパード中佐搭乗)。 業界ならびに内外情勢
5月16日 韓国軍部クーデターにより軍事政権樹立。 業界ならびに内外情勢
5月20日 (大日本紡績) 北海道出張所開設。 ニチボー関係
7月14日 (大日本紡績) 社長原吉平、ジュネーブの綿製品貿易会議(ガット主催)に政府代表の諮問にこたえるため紡協委員長として出発、同会議では、その反対にかゝわらず輸入国中心主義の1962年に関する綿製品国際貿易についての短期協定作成される。 ニチボー関係
7月24日 (大日本紡績) 健康保険組合湯の山荘竣工。 ニチボー関係
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