※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 東京製絨東京毛織物及び後藤毛織三社合同して千住製絨所を払下げんとする運動起る。 | ||
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 当会社重役及び株主其他有志の出資により資本金二百五十万円の日本毛糸紡績株式会社を設立社長に当社々長川西清兵衛氏就任。 | ||
5月 | 上毛モスリン会社日本毛糸モスリン会社を合併す。 | ||
7月 | 当社監査役柏木庄兵衛(次代)氏死去。 | ||
7月 | モスリン市況の活躍により名古屋地方の手機モスリン事業勃興す。 | ||
11月 | 当社及びモスリン四社の間に操短協定設立し聯合会を組織す。 | ||
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | モスリン聯合会は市価維持のため更に各社五割の操短を実行す。 | ||
7月 | 殴洲大戦勃発す。 | ||
8月 | 日英同盟の誼に基き独逸に対して宣戦を布告せらる。 | ||
10月 | 日本毛糸紡績会社姫路工場設立毛糸及びトツプの製造を開始す。 | ||
10月 | 輸入毛糸杜絶し毛糸商と機業家は非常なる打撃を蒙る。 | ||
10月 | 露国より巨額の軍絨註文到り当社外三製絨会社に於て其製造を引受くることとなる。 | ||
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 露国軍絨第一回註文九十万碼の中当社は四十五万社を引受け他は東京三冠に於て引受く。 | ||
2月 | 濠洲羊毛の輸入困難となりたる結果各毛織会社の間に原毛の購買組合を設け三井大倉は濠洲に於て原毛買取権を設定し内地の原毛買入は購買組合に於て各社の製造能力に応じ按分比例を以て分配することとなる。 | ||
2月 | 英国政府濠洲羊毛及びトップの輸出を禁止す。 | ||
3月 | 当社製モスリン十五万碼三井物産の手を経て英国に輸出せらる。 | ||
3月 | 露国軍絨引受丙地各製絨会社能力減少の結果市場毛織物払底を告げ稀有の暴騰を演ず。 | ||
4月 | 露国軍絨第二回五百万碼の註文来り中二百五十万碼を製絨四社に於て引受け当社は中百三十万碼を引受く。 | ||
5月 | モスリン払底のため市価暴騰モスリン聯合会は五割操短を解除し二割操短となす。 | ||
5月 | 当会社資本金二百万円を増加して五百万円となす。 |