日本綿花(株)『日本綿花株式会社五十年史』(1943.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治25年(1892) - 【渋沢栄一】東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 渋沢関係略年譜
10月11日 摂津、平野、尼崎、天満紡績の四当事者並に棉花商等二十五人日本綿花会社の創立を図り設立願書を大阪府知事に提出す
10月13日 大阪府知事より許可を受く
11月10日 創業総会を開く
12月1日 営業開始
12月10日 営業規則を制定す
12月10日 当社の商標を分銅を象つた日の字に定む
12月21日 社長佐野常樹氏は一日も早く海外の取引先撰定の必要を感じ印度及埃及地方棉業の景況を視察し取引方法劃定の為め其の途に上る//二十六年五月十一日帰阪す//此の機に於て孟買英商ガダム、バイテル商会 歴山独商アンドレ商会の二社を我社の取引先に撰定す
明治26年(1893) - 【渋沢栄一】喜賓会創立、幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。〔53歳〕 渋沢関係略年譜
10月13日 社長佐野常樹氏上海綿業視察且取引方法劃定の為め渡航す
10月23日 仮事務所を大阪市四区靱北通四丁目七番屋敷に設けたるが二十六年十月二十三日現在の中之島二丁目十番、十一番屋敷に百二十三坪を購入して木造事務所の建築を為し明治二十七年七月二十九日新築事務所に移転
- (上半期)会社事業草創の際とて取引高僅少なりしも本年上半期(明治二十五年十二月一日開業より二十六年六月三十日に至る七ケ月間)に於て尚九、二八六円五六の純益を挙げたり
- (下半期)支那棉取引に着手す
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。〔54歳〕 渋沢関係略年譜
- (上半期)本年六月三十日に終る上半期に於ては棉花取扱数量著しく増加せるも為替相場の変動激しく遂に三六、六六九円九二の欠損を来せり
- (下半期)本年十二月三十一日に終る下半期に於ても棉花取扱高更に増加せるが棉花相場の暴落に依り当時としては巨額の損失(九六、八七二円二六)を来せり、然し当局者は綿業の大勢逐次盛大となるを予期し業績恢復に邁進することとせり
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
10月1日 常務兼支配人池田仁左衛門氏清国綿況視察及支店開設の得失調査の為め上海に渡航//十月二十二日帰社
- (上半期)社長佐野常樹氏辞職、田中市兵衛氏社長に就任、池田仁左衛門氏常務取締役兼支配人に就任
- (上半期)本年六月三十日に終る上半期は日清戦争の余響を受け一般商工業不振なりしも当社は確実方針に基き業績稍挽回の途に着けり
- (下半期)本年十二月三十一日に終る下半期に於ては日清平和克復、業績漸次良化
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
7月23日 取締役志方勢七氏渡米、マクフアデン兄弟商会を我社のソール、エージエントに撰定し我国に於ける米棉直輸入の端緒を開く
7月23日 社員喜多又蔵氏を孟買に派出す//同氏ガダム商会との印度棉取引改善に努力す
- (下半期)本年十二月三十一日に終る下半期に於て二十七年来の損失を埋め剰余金を以て一割の配当をなす
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