(社)日本綿花協会『綿花百年. 下巻』(1969.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
9月2日 綿商40余店、日本綿花同盟会結成
11月3日 日本綿花同業会創立。同年にエジプト綿初めて輸入
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 関税定率法実施
1月1日 第2次操業短縮実施(1月1日から31日までの1カ月間)
6月16日 商法実施
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月8日 大阪合同紡績株式会社設立
3月7日 産業組合法公布
5月1日 第3次操業短縮実施(5月1日から34年3月31日までの11カ月間)
6月1日 紡連、仲裁委員を設け、綿花取引の紛議仲裁を実施
6月17日 紡連、臨時総会において、以後綿花同業会会員以外から綿花を買わないことを決定
6月26日 大阪合同紡績、天満紡績を買収合併
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
1月 金融恐慌、預金取付拡大
2月15日 大阪糸・綿・木綿取引所、綿花売買規則を実施
12月5日 大阪糸・綿・木綿取引所、三品取引所と改称
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月30日 日英同盟協約調印
3月20日 摂津紡績、大和紡績を合併
7月1日 第4次操業短縮実施(7月1日から12月31日までの6カ月間)
9月5日 紡連、臨時総会において、輸出奨励案を可決してこれにインド綿運賃割戻金の一部充当を可決
12月 三井物産、中国人紡績興紗廠を買収して上海紡織有限公司を設立(最初の在華紡)
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月10日 日露戦争勃発(人心不安、糸価暴落、市況全く沈滞)
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