(社)日本綿業倶楽部『本邦綿糸紡績史. 第1巻』(1937.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
- 鹿児嶋紡績所県庁の監督となる
- 堺紡績所政府に買上げらる
- 鹿嶋紡績所開業
- 石河正竜氏勧農寮出仕、堺製糸場出張
- 鹿嶋氏二千両を大倉氏へ貸す
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
- 新納太氏鹿児嶋紡績所長となる
- 石河氏佐土原藩紡機受渡を命ぜらる
- 石河氏富岡製糸場在勤を命ぜらる
- 石河氏堺紡績機の修繕改正を命ぜらる
- 堺紡績始て十七、十八、十九番手を紡出す
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
- 佐土原藩紡機払下
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
- 石河氏茶業視察の為印度渡航
- ステペンス鹿嶋紡績辞任
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
- 石河氏官立紡績所機械の注文を命ぜらる
- 明治大帝堺紡績行幸
- 石河氏新町紡績所出張拝命
- 高城伊三郎氏鹿嶋紡績入所
- 鹿児嶋紡績西南戦争に荒さる
- 浜崎太平次氏鹿児嶋紡績払下を受く
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
- 堺紡績肥後孫左衛門氏に払下となる
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