※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 北米、南米および泰国方面に社員派遣 | 会社事項 | |
- | 上海出張所支店に昇格 | 会社事項 | |
- | 東京、名古屋出張所支店に昇格 | 会社事項 | |
- | 青島出張所を開設、京城出張所支店に昇格 | 会社事項 | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 太平洋戦争勃発 | 社会の動き | |
- | 台湾、盤谷、済南に出張所を開設、印度に社員を派遣 | 会社事項 | |
- | 八木洋行資本金80万円に増資 | 会社事項 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 大阪絹人絹配給独立中核体(60社)を結成、綿スフ中核体(資本金200万円、会員8社)を結成それぞれ理事となる | 会社事項 | |
7月 | 盤谷出張所支店に昇格 | 会社事項 | |
- | 香港、西貢、徐州、南京、蛙埠、広東、海州出張所を開設 | 会社事項 | |
- | フィリピンに同盟通信南方現地調査員として社員を派遣 | 会社事項 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 八木株式会社と改称 | 会社事項 | |
- | 繊維製品配給統制会社代行機関となる | 会社事項 | |
- | 満州、泰国向交易営団委託者実務担当者に指定 | 会社事項 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 杉道助会長に、八木泰吉社長に就任 | 会社事項 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 空襲のため本社被災 | 会社事項 | |
3月 | 名古屋支店全焼 | 会社事項 | |
8月6日 | 広島、(8月9日)長崎に原子爆弾投下 | 社会の動き | |
8月15日 | 日本ポッダム宣言受諾、終戦 | 社会の動き | |
8月 | 終戦、海外支店および出張所を閉鎖、八木洋行解散、雑貨部を新設 | 会社事項 |