※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (紡)工場改修、床ヲコンクリートトス | ||
- | (紡)社長南楠太郎 | ||
- | (織)社債弐拾万円募集 | ||
- | (織)南楠太郎常務取締役 | ||
- | (織)北支方面ニ綿糸ヲ輸出ス | ||
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 戦後ノ不況来ル | ||
- | (織)朝鮮貿易ヲハジム | ||
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月14日 | 十月十四日和紡和織合併問題纒リ、十二月決議 | ||
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 三月一日和歌山紡績、和歌山織布両社合併ヲ完了ス 新社名和歌山紡織株式会社 資本金百参拾万円 社長南楠太郎 | ||
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | おぼろ糸発明、専売特許 | ||
- | 織布製高一日九〇〇反 | ||
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月27日 | 七月廿七日徳川頼倫侯一行手平工場縦覧 | ||
8月 | 八月対独宣戦 | ||
- | 第一次世界大戦勃発、綿業界大暴落 | ||
- | 三万錘増設決議 | ||
- | 綿布売行不振ストツク激増 | ||
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 一月松村支配人渡支 | ||
7月 | 七月西工場出火 | ||
11月 | 十一月新設紀ノ川工場地鎮祭 | ||
- | 綿布益々不振 |