三井鉱山(株)『男たちの世紀 : 三井鉱山の百年』(1990.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
元和元年(1615) 5月8日 大阪城落城、夏の陣終わる 関連・一般事項
8月 三井高俊、松阪に土倉酒家を開業 当社事項
延宝元年(1673) 8月 三井高利、江戸本町に越後屋呉服店を開業 当社事項
延宝5年(1677) - 「丸に井桁三」の店章を制定 当社事項
享保5年(1720) - 御為替三井組を呼称(三井組名称の起源) 当社事項
享保6年(1721) 11月 柳川藩家老小野春信、平野山を開坑(三池炭鉱の始まり) 当社事項
享保7年(1722) 11月1日 三井高平、宗竺遺書を制定 当社事項
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
10月14日 徳川慶喜、大政を奉還 関連・一般事項
12月26日 三井組、維新政府から金穀出納所御用を受命 当社事項
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
5月10日 新貨条例公布(最初の金本位制) 関連・一般事項
6月 三井組、新貨幣為替方を単独で受命 当社事項
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
3月27日 鉱山心得公布 関連・一般事項
3月 三井組、呉服部門を分離、三越家名義とする 当社事項
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
6月11日 三井組、第一国立銀行を設立 当社事項
7月20日 日本坑法公布(最初の統一鉱業法典) 関連・一般事項
9月5日 工部省三池鉱山支庁を大牟田村に設置 当社事項
11月 三井組高山出張店設置 当社事項
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
3月1日 井上馨、先収会社を設立 関連・一般事項
5月21日 釜石鉱山官営となる 関連・一般事項
5月 三井組船津出張店設置 当社事項
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