※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 日本軍ニューギニアのホーランディア占領 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
1月16日 | 南東作戦中枢基地ラバウルに連合軍の空襲 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
2月7日 | ガダルカナル島撤退完了 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
3月2日 | ビスマルク海戦においてラエに輸送の日本船団、連合軍の空襲により全滅(3月4日まで) | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
4月18日 | 連合艦隊司令長官山本五十六大将戦死 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
5月29日 | アッツ島の日本軍全滅 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
6月23日 | セレベス島マカッサルにB24来襲 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
7月1日 | マッカーサー大将ラバウル占領を目的として大作戦開始(ソロモン及びパプアより) | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
7月29日 | キスカ放棄、守備兵撤退 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
8月9日 | 東部ニューギニア及びソロモン群島方面の戦況益々悪化す(補給増援至難) | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
9月4日 | ラエ、サラマウアに連合軍上陸 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
9月8日 | イタリー無条件降伏 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
9月15日 | 日独共同声明三国同盟確認。ソロモン、東ニューギニア、ラバウル方面には新たに増勢を行わぬことに大本営決定 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
9月22日 | 東ニューギニア、フィンシュハーフェン附近に連合軍上陸 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
9月30日 | 御前会議で絶対防衛線をマリアナ、カロリン、西ニューギニアに後退すること、航空機増産に全力をあげること、船舶対策を強化することを決定 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
10月14日 | フィリピン共和国成立 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
10月22日 | 西ニューギニア防衛強化のため満州より大兵力を転用決定 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
11月1日 | ブーゲンヴィル島沖海戦 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
11月25日 | マキン、タラワ両島日本軍全滅 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月2日 | 米軍ニューギニア北岸のサイドールに上陸 | 本文記事関連年表(昭和十四年―二十年) |