※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保11年(1840) | - | 【渋沢栄一】天保11年2月13日(1840年3月16日)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)に生まれる。幼名は市三郎。渋沢家は代々の農家で養蚕と製藍を兼業。〔0歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年、ドイツ人ケーラー、砕木パルプを発明 | 一般および製紙事業関係 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 明治と改元 | 一般および製紙事業関係 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 札幌開拓使、樺太を管轄とする | 一般および製紙事業関係 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 樺太開拓使設置 | 一般および製紙事業関係 | |
8月 | 民部省、山林原野の事を掌る | 一般および製紙事業関係 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 大阪に紙幣寮設置 | 一般および製紙事業関係 | |
8月 | 北海道開拓使、樺太開拓使と合併 | 一般および製紙事業関係 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 浅野長勲、東京に有恒社を設立 | 一般および製紙事業関係 | |
2月 | 「東京日日新聞」創刊 | 一般および製紙事業関係 | |
9月 | 北海道土地売買規則及地所規則公布 | 一般および製紙事業関係 | |
11月 | 国立銀行条例制定 | 一般および製紙事業関係 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 抄紙会社、三井組・小野組・島田組の共同経営として設立認可される | 一般および製紙事業関係 | |
6月 | 京都に梅津パピール・ファブリック設立 | 一般および製紙事業関係 | |
7月 | 地租改正条例布告 | 一般および製紙事業関係 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 紙幣寮を印刷局、抄紙局を抄紙部と改称 | 一般および製紙事業関係 | |
6月 | 有恒社開業、日本最初の輸入抄紙機運転 | 一般および製紙事業関係 | |
11月 | 「読売新聞」創刊 | 一般および製紙事業関係 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 大阪蓬来社、製紙工場開業 | 一般および製紙事業関係 | |
3月 | 大川平三郎、製図工として抄紙会社に入社 | 一般および製紙事業関係 | |
6月 | 貨幣条例制定 | 一般および製紙事業関係 |