加賀製紙(株)『加賀製紙百年』(2016.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
6月 博多製紙の長崎伝を技師長として招へいを決定 当社の動き
7月 金沢製紙内に仮事務所設置 当社の動き
8月 工場敷地を買収。機械および工事を発注 当社の動き
9月 金沢製紙の事業を継承し、加賀製紙が創立//社長に横山俊二郎が就任 当社の動き
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
8月 1号抄紙機の据え付け完了。円網多筒式で稲わらを原料に板紙製造を開始 当社の動き
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
4月 稲荷大明神社祠建立 当社の動き
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月 東京株式市場で株価暴落。第1次世界大戦の戦後恐慌 国内外の動き
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
8月 2代目中島徳太郎が死去。中島与四郎が3代目徳太郎を襲名 当社の動き
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
5月 社長横山俊二郎が退任。後任に3代目中島徳太郎が就任 当社の動き
12月 大同洋紙店との特約販売を決定 当社の動き
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
9月 創立10周年記念式祭挙行 当社の動き
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
11月 工場を大規模修理 当社の動き
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月 増産計画竣工。6月から運転開始 当社の動き
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
8月 工場東側わら場から出火。わらの自然発火が原因。工場全焼 当社の動き
10月 ニューヨーク株式市場が大暴落。世界恐慌始まる 国内外の動き
昭和13年(1938) - 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 渋沢関係略年譜
4月 国家総動員法公布 国内外の動き
7月 2号抄紙機(旧)据え付け工事開始 当社の動き
10月 物価等統制令公布。物価や賃金を9月18日の水準に凍結 国内外の動き
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
6月 2号抄紙機竣工、運転開始//わらパルプ製造開始 当社の動き
10月 洋紙製造許可、2号抄紙機で製造開始 当社の動き
PAGE TOP