日本紙パルプ商事(株)『百三十年史』(1975.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
弘化2年(1845) - 【渋沢栄一】この頃、父に三字教、蒙求、小学等を教わる。栄治郎と改名。〔5歳〕 渋沢関係略年譜
- この年三代目三郎兵衛(三平)、京都六角柳馬場西入町に和紙商越三商店を開く、資本金壱百両、25歳 当社関係
- この年江戸人口55万7,698人 一般事項
嘉永4年(1851) 1月 中部万次郎、アメリカから帰る 一般事項
12月4日 四代目三郎兵衛、河内国北河内郡津田村字野村の小原家に生る 当社関係
嘉永5年(1852) - 全国の人口、2,721万余人 一般事項
嘉永6年(1853) - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
6月 アメリカ使節ペリー、浦賀に来航 一般事項
- この年四代目三郎兵衛、小原家より中井家に入る、3歳 当社関係
- 三代目三郎兵衛(三平)、京都三条通東洞院西入梅忠町に営業拡張 当社関係
文久2年(1862) - この年鵜飼勝輔(幼名城太郎)京都本店に奉公、9歳 当社関係
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
12月 徳川慶喜、大政奉還を乞う 一般事項
- この年四代目三郎兵衛17歳にて三井呉服店を辞す 当社関係
- この年『西洋雑誌』創刊 一般事項
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
1月 丸屋善七商店(丸善の前身)開業 一般事項
12月 四代目三郎兵衛、つると結婚す 当社関係
- この年万常紙店創業(和紙仲買業) 紙業界一般
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
- 四代目三郎兵衛20歳で家督相続、三代目は三平と号し、三井組に勤務す 当社関係
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
8月 洋式楮製商社設立(百武安兵衛、開業にいたらず) 紙業界一般
- この年三郎兵衛町年寄に挙げられる 当社関係
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
2月 日本ではじめての製紙工場、有恒社設立 紙業界一般
2月 『東京日日新聞』(毎日)創刊 一般事項
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