※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月23日 | ・暴風で長岡工場の原料倉庫4棟と工場などが倒壊 | 北越製紙関連事項 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月12日 | ・日本板紙共同販売所による共販体制崩壊。同社は大正5年4月に解散決議 | 北越製紙関連事項 | |
8月5日 | ・岩波書店創業 | 業界関係および一般社会情勢事項 | |
12月 | ・樺太工業設立 | 業界関係および一般社会情勢事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月28日 | ・第一次世界大戦起こる(8月日本参戦) | 業界関係および一般社会情勢事項 | |
7月30日 | ・北越板紙株式会社を設立(新潟市・資本金25万円)。社長に覚張治平が就任 | 北越製紙関連事項 | |
11月 | ・三井合名会社、大泊に工場開設(大正4年7月王子製紙大泊工場となる) | 業界関係および一般社会情勢事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月16日 | ・支配人渋谷謙三郎が辞任 | 北越製紙関連事項 | |
5月 | ・対中国21カ条要求に基づく日華新条約調印 | 業界関係および一般社会情勢事項 | |
7月 | ・技師長春日馬之助が辞任 | 北越製紙関連事項 | |
9月12日 | ・支配人として田村文吉が入社 | 北越製紙関連事項 | |
9月20日 | ・加賀製紙設立 | 業界関係および一般社会情勢事項 | |
12月 | ・藁パルプの試造に成功 | 北越製紙関連事項 | |
12月 | ・北越板紙の工場が完成(1号抄紙機・板紙抄造) | 北越製紙関連事項 | |
- | ・(この年)海外から印刷用紙の引き合い激増 | 業界関係および一般社会情勢事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ・北越板紙、板紙から中質印刷紙の抄造に転換(当社が洋紙製造を行った最初)。「オカメ」「万代」を上市 | 北越製紙関連事項 | |
9月18日 | ・主婦の友社創業 | 業界関係および一般社会情勢事項 | |
9月 | ・工場法施行 | 業界関係および一般社会情勢事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | ・北越板紙を買収し新潟工場と改称 | 北越製紙関連事項 | |
3月10日 | ・日本工業倶楽部設立 | 業界関係および一般社会情勢事項 |