荒川林産化学工業(株)『荒川林産百年史 : 松脂と共に』(1977.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。日米関係委員会が発足・常務委員。理化学研究所創立委員長。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 荒川製ロジンをロシアに輸出―日本製ロジンの最初の輸出 当社事項
- 富士製紙株式会社神崎工揚に荒川製ロジンを納入―製紙業界最初の需要家 当社事項
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
10月 淀川大洪水 参考事項
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
9月7日 荒川正太郎、上海に渡り中国松脂直輸入の道を開く 当社事項
11月11日 第1次世界大戦終わる 参考事項
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
8月 米価1キロ33銭に高騰し富山県に米騒動起こり全国に波及 参考事項
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月17日 荒川正太郎、秋田大林区署を訪問、松脂事業に関する意見を述ぶ 当社事項
3月 戦後の経済恐慌起こり倒産続出 参考事項
10月1日 第1回国勢調査 内地人口5,596万人、外地人口2,102万人大阪府人口258万人、大阪市125万人 参考事項
12月9日 上海英租界薦田公司の中国浙江省温州所在の松脂工場用精製釜2基(代価3,366円24銭)を同公司に出資 当社事項
- 道修町道路拡張、俗に軒切りが行われ木煉瓦舗装さる 参考事項
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】排日問題善後策を講ずるため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
9月10日 薦田公司に運転資金として2,000円出資 当社事項
- 日本最初のロジン油を製造し横浜電線製造株式会社(現古河電気工業株式会社)に納入 当社事項
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
4月 荒川正太郎、中国浙江省温州に渡航、松脂産業を視察 当社事項
11月22日 荒川正太郎の長男吉正出生 当社事項
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
9月1日 関東大震災 参考事項
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】日仏会館開館・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
5月 道路工事、家屋改築のため、店舗を平野町1丁目に移す 当社事項
8月 工事完了し、旧場所に帰る 当社事項
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
8月29日 メートル法に関する条約公布 参考事項
10月 株式会社岩井商店(現日商岩井)より米国ハーキュレス社のロジンの関西代理店を委託さる 当社事項
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